2020.11.05 05:48神人の道出雲道 大和魂 合気道同じ理にして 違う現れ十(カミ)が動きて卍(ホトケ)なりその理が判らず争いて神に蓋して仏を穢す仏魔入りて広がりて上から下まで仏魔の闇世仏魔とは『恐れ』なり恐れを以て仏を語れば仏と共に恐れも広がる地獄と共に仏を語れば仏と共に地獄絵図となる本来地獄は無きものを語り広げて地獄産み成す神を握りしめ仏握りしめ手放せぬ心 神在らじ神が無ければ仏も在らじ神は古(いにしえ)に在るのではない『今今』の中に常に在るが神過去も未来を握りしめれば神を失い仏も失う神も仏も失ったものが虚ろを握って争いてどちらが勝っても同じこと神も仏も無き世となりけり今今の中に神在るが『出雲道』その『神』と共に在るが『大和魂』過去にも未来にも囚われなく進むが『合気道』舵を手放...
2020.11.02 05:14『聖徳太子』という幻想超人的で明晰な頭脳の持ち主で聖人君子、大化の改新という一大事業の功労者という位置づけが生まれていったのは、偶然ではなく『日本書紀』という『刷り込み』の常套手段を用いて行われたのだろう。そうして『聖徳太子』という超人的な聖人君子像を作り上げることで、大化の改新及びその時期に創作された『古事記』『日本書紀』をベースに『新国家』の基礎を作り上げていったのかもしれない。そしてそれは概ね成功した。策謀、暗殺、親殺し、兄弟殺し、皆殺しの歴史を上塗りする如く『神』をまるで紙のようにして虚飾に利用し、『神』から離れた『ヤマト』を憂い、『仏』に頼ったのかもしれない。しかし、その『仏』も『神』と同じく虚飾になり、求めあがいても答えは得られないまま現代まで来てしまったのだろ...
2020.10.27 17:36大和魂の柱大和の民の『柱』となるのは天皇家である。それは歪めようもない確かなことである。では何故『柱』なのか?二千数百年続いたからか?それもあるだろう。しかし、それ以前に大和の国はもっともっと長い間続いている。天地創生、神世の時代から延々とその活動が明確に『歴史』として記されているのである。たかだか二千数百年の話ではない。恐らく人類が始まって以来、続いているこの歴史は、日本という島国だけのものではなく、地球規模の『歴史』なのである。そんなものが語り継がれているのが『大和』である。そこには、常に『神』を『柱』に据えた営みがあり、それを気の遠くなるような時の流れの中で連綿と繋いで、それが『今ここ』に至っても連綿と続いているという『証』が、天皇家を中心とした『大和』な...
2020.10.26 10:03陰陽表裏一体 草薙剣最近この姿の姫さまこれが『陰陽和合』してさらに『仏姿』としての現れそれは+(カミ)が活動するときの卍(ホトケ)の姿『陰陽和合』は『八臂弁財天』と『刀八毘沙門天』の和合の姿『七億仏の仏母・准胝観音』と現れるこれが『荒魂』なりし姿である『苦しみの連鎖を憂う時、必ず表裏一体 表のみならず裏を見よ』「・・・・・・」『すでに教えてある』「・・・・・・あゝそうか」と、すでに2年前に実地で教えられていたことを思い出す
2020.10.21 06:28大和道 ~癒奏術・Yuragi Therapy 日の出の章大和道神がそれをするようにヤマトの民はそれを行う神そのものを示すため一度すべてを失わなければならないすべて召し上げられた中で神がそれをするようにヤマトの民がそれをするそれは親たるヤマトの務め子らを導くための道を示す岩戸を開きそれをするもの神人なり全てを失いそれでもなお『あななう』『苦』あるところ『あなない』て『楽』に変えるが大和の道人の手足を使って『あなない』行うが『神通力』手足使わず汗かかず己勝手の楽するは『魔力』なり自分の『苦』ではないからと放置したゆえ今の有り様他を『楽』にする『あなない』あればこの世になんの『恐れ』も無し他を楽にするが『他楽(働く)』道己勝手の楽は『働く』に非ず恐れから逃れるだけの道であるその恐れの根源は己の中に在り己の行いの中...
2020.09.19 03:34愛の剣かつて出口王仁三郎氏は言われた『神を鰹節にしているものばかり・・・』と鰹節を削るように神を削って売ってゆくそんな神の崇め方そんな神の使い方それは今でも全く変わらずそれに気づいたドリーンバーチュさんの改心も空しく今だ神は『けずりぶし』そんな『けずりぶし』の神に慣れてしまい誠の神がわからぬばかりか誠の神が信じられぬすべて悪魔の謀(はかりごと)それに気づいて改心したと語ったドリーンさんの言葉も慾に負けて改心出来ずうちには神棚がある仕事場と寝室に毎日お神酒をささげ祝詞を唱えているそのことの意味をちゃんと理解する人はちゃんと神棚に手を合わせてくれる今まで多くの人が来たが神棚に向かう人は稀である『けずりぶし』に慣れすぎて誠の神がわからず誠の神に向かうことを知らずお...
2020.09.19 01:35天恵今から3年半ほど前の2016年の年末3日間にわたり高熱を発し一人静かにただひたすらに寝て水と栄養剤の摂取だけで過ごしたそして4日目自分が宇宙そのものであることを知った膨大な幾何学模様の光のマトリックスで生きとし生ける人の運命が紡がれて誰一人かけても光の織物は成らず慈しみの中で導かれながら光り輝いていたそれは『目覚め』の始まり高熱により身体の中の不純な生き物が死滅し身体の中の余計なものが排出されつくし綺麗に洗い流された身体何にも煩わされずただただ熱に身を任せていた心は囚われなく自分の明日への執着さえなくただただあるがまま受け入れたたとえこのまま死のうとも・・・・・実際、自分が何を手放し何を握りしめているかなどこんなことがなければわからないものである手放し...
2020.09.17 01:04今ここ『今ここ』『今ココ』と呪文のように唱えながら今ここにある目の前のクソのような現実から目を逸らし逃げて明後日の方へ意識を逸らして夢を見る実際クソのような現実である一時逃げるも良しだろうしかしいつまでも逃げ続けるは酒や薬に溺れると同じ嬉し楽しのジャンキーである一見、未来を語っているようでその実何にも未来を語らず『今ここ』が大事と言いながら挙句の果てにこの世は『架空』とせっかく悟った仏陀の教えを捻じ曲げ理屈し語りだす五次元宇宙の使者たちは麻薬の言葉を出し続ける『今ここ』に確かにあるものはクソのような現実であるそれを変えるが『今ここ』を生きる人の役割なおざりにしてましてや神を語るならなおさらクソに手を入れねばならぬ怒りがあるなら怒りをぶつけよ目を逸らしても怒り...
2020.09.13 04:44王道真ん中は右と左の間に非ず上と下の間に非ず間は両の極みが柱極み変われば真ん中動くゆえに真ん中柱立たず自分が自分以外のものに成れるわけなし「何にでも成れる」というは魔の言葉自分の御魂の因縁忘れ自分勝手に振舞うは天地の繋がり断ちたゆえ魔に誘われて自分を忘れて真ん中忘れて右往左往極みの間で揺れている真ん中は御魂の因縁御魂の因縁は誠の思い楠は楠となり蓮は蓮となり鳥は空飛び魚は泳ぐ人は何する生きものぞ?我は何する人なるぞ?御魂の因縁あるゆえに産土の神に結ばれて萬(よろず)の神に育まれ心の臓を鼓打つゆえに命が弥栄える我を忘れて魔が差して間(ま)に魔が住み着きすでに人ならず天狗となりて神語る天地の乱れ極まれり我は我 何者でもなし我を生きるが神人和合無心で我を生きる時神...
2020.04.23 13:26真澄の玉純粋なる魂たち自分の心の真ん中を穢すことなく耐えに耐えてきた魂たち曲がらず穢さず痛みに耐えて守り抜いた心の真ん中痛みを知るがゆえ傷つけるを恐れ痛みに耐えながら孤独を友とし穢さぬ行いが清めとなり磨きに磨かれ水晶の如し水晶玉の真ん中に光る神の光が現れる水晶なるがゆえ光は八方へと広がりやがて闇夜を照らす光となる天は点〇(こころ)の真ん中にあるのが・(天)であるその天を守り続けたものたち和合の時は近い・(天)〇(地)和合・(神)〇(人)和合天を祀るは・(点)を祀るなり心の真ん中の純粋それが神天を照らし地を照らし三千世界を照らす光水晶玉に磨かれた心それが【真澄の玉】光そのものである心の火が告げるまま在るべくして在れもうすぐ祭りが始まる
2020.02.27 17:25月の世 弥勒の世界月の世とは何であるか?自らの中心奥の奥へ問いかけると『既に答えある』と・・・未だ神の存在など確信しえない頃神と対峙していた頃『既に答えある』それはただ単におのれの心の炎を追いかけてたどり着いた癒奏術の理(ことわり)が気付けばそのまま『月の世』の在り方そのものであると・・・自ら答えを追い求め自らの心の炎に応えて導き出てきた答え『おのれが神に導かれるだけが導きに非ず。神の応えを導きだすのも導きである。』『左の渦だけで和合は出来ぬ。人からの右の渦あって和合である。』心の真ん中 通り道神の導き 人の導き進みて出合う 天地の意左回りの 天の意の渦右回りの 人の意の渦巡りて出会う 神柱心の真ん中 誠の柱天地の同じ意 合わさりて神人和合の『ミトノマグワイ』ナギ ナミ...
2020.01.27 13:03自己信頼この2年の間、急げ急げとずっと急かされてきた。何をどう急げばいいのかわからず、急げているのかどうかもわからず、向かっている先の正しさも何もわからず・・・・それでも唯一拠り所にしていたのが【導き】である。それは【誓い】でもあった。顕れた女神への誓いそして様々な神々への誓いその【誓い】を『二言なく貫く』ことが自分のたった一つであり全てでもある拠り所。世界中を敵に回しても『やる』という誓いたとえ誰から見放されようと『やる』という誓いその奥にあるのは『どう生きるか』という思いではなく『どう死ぬか』という思い。一度でも本気で『死』を覚悟したものならわかるはずである。『死』を覚悟するということは、自分の『死』というものに向き合い、そして『死』を『受け入れた』という...