2020.08.27 14:17二極化 ~軒猿その六スピリチュアルで二極化二極化とよく言われているが、その二極化ではありません。以前、『龍神会【奥宮】』動画で語っていた二極化です。表面上は米中の対立激化となっていますが、それは神界での対立の現れと言っていました。その米中対立を米側の視点で見たとき、また中国側の視点で見たとき・・・対立の最前線となるのが日本です。古来、中国客家との長い関係がある日本。しかし、第二次大戦以降、米の支配下にある日本。この日本には米中二線の路線が複雑に入り混じった二重構造になっています。つまり、米中の火花が散る最前線がここ日本であり、韓国や台湾も巻き込まれていくという構図です。先日、自民党の甘利氏が日本企業に対して警告を発しました。Tiktokの関連で。中国とズブズブの関係にあれ...
2020.08.25 02:25神心(かみごころ)五体不満足で生まれ来て不平も言わず生きる姿笑顔を見せて和み生む水晶玉の清き心神が愛さぬわけはなし五体満足生まれ来て不満ばかりを申しては人を傷つけ自分を痛め怒り悲しみ不協和響く水晶玉の曇りた心神が嘆かぬわけはなし手足失わねばわからぬか?命失わねばわからぬか?繋がり失わねばわからぬか?せっかく出来る力与えられ生まれ来ているというのに力を争う凶器とするは神の嘆き極まれり五体満足それだけで十分力は備わりしそれも満足に使わずにいったい何の力を求める?人との調和も備わりしそれでも何の不満ある?手にしたものを尊べぬのに何を与えてほしいのか?出来る自分を尊べぬのに何を求めて苦しむか?余計な力与えても尊ぶ心忘れては浮かれ天狗になるばかりこの世に天狗は必要在らじ楽をしたけ...
2020.08.23 03:12神人・神世成る与えられ教えられ、それを『学び』とする時代は終わり自らの『道』は自らで『掴む』ことで歩んでゆく『学び』となる『教え』の衣は剥ぎとられ血肉と為した『教え』のみ活きる『教え』は『導(しるべ)』歩いた先で『掴む』もの歩まねば掴めぬ『掴む』とは?心の真ん中に火が灯るように確かな熱い『意』の『火』が灯る歩むからこそ現れる導きの『火種』それが神の『言霊』心の真ん中に『火』が灯り歩む力が湧き出てくる力の『水』が湧き出てくる『火』が灯ることで湧き出る『水』『意志』が起こり『勇気』が湧き出るそれが『火水(かみ)』の理(ことわり)人の本来あるべき姿『火』のない『教え』の世は終わりおのれ自身の『火』を掲げ歩む世界と変わりゆくその『火』が力の『水』を呼び世界を潤す水となる『火...
2020.08.19 20:55存在のちからすべてのものに波動エネルギーがあるように、すべての人に波動エネルギーがある。それは存在そのものが醸し出す波動でありエネルギーであり力である。物の色や質、姿かたちで波動が違うように、人の在り方そのものが波動の違いを醸し出す。磨いて磨いて磨かれた人の波動は、そこに居るだけで存在の力を放ち、周りを心地よくしてゆく。何かをして力を発揮するだけが力ではなく、ただ在るべくして在ることが力となる。今までは無視され意に介されなかった力。『存在の力』その人がいるだけで周囲が明るくなる。その人がいると何故か人が調和を始める。その人がいると身体が楽になる。その人がい居ると居ないとで変わる『場』のエネルギー。それが『存在の力』そんな存在の力に助けられながらも、その事実に気付か...
2020.08.19 20:54大国返上私はここにいる だからここが自分の真ん中 自分が立つ大地が柱立つ場所 ここにある真ん中の柱を 仰ぎ見る天へと移され 自分のもとから柱が無くなり 仰ぎ見るものを真ん中とした 国譲り それは柱を大地から引き抜かれ 天へと持ち去られた 縦横十字に組まれた柱 解かれて縦横別々に天へと上げられ 誠の真柱は 日と月へ分けられ上げられた 柱を失い 真ん中を失い 仰ぎ見る日々 縦の火柱 太陽に 横の水柱 月に 火水(かみ)は分けられ 結ばれぬ隔たりは天の川 神の...
2020.08.19 20:53天地グレン引き寄せ受け取る仕組みに囚われ 与える実となるものを生み出さず 着飾って 理屈して 誤魔化して 仕組みばかり作る姿はまるで 穴掘るアリジゴクに似たり アリジゴクが寄り集まって ウロボロスの蛇の環となる 蜷局を巻いたる蛇となる 乾いた穴に流れ落ちる 「引き寄せ」と言う理屈の流砂 大口開けたウロボロス 教えをただ身にまとうは 血肉とならず身とならず 食しておのれの一部とし はじめて実を産む身となれる 教えまとうは過ぎたる力 力無きまやかしの力 それは実を産む力にあらず&...
2020.08.19 11:38天照皇大御神捨てて 捨てて 捨てきった 空っぽの心に満ちてゆく 大切なものを捨てるほど 大切なもので満たされる すべてを捨てきっても無くならないもの 『自分という存在』 空っぽの心に 自分が満ち満ちてゆく 『生きる』を捨てれば『死ぬる』が消える その時はじめて『生きる』が満ちる 『死ぬる』を知らぬ『生きる』が満ちる 『死ぬる』に心の枷(かせ)つけて 『生きる』が曲がらぬわけは無し 生老病死(しょうろうびょうし)の囚われは 『生きる』を捨てぬがゆえの枷(かせ) 捨てて 捨てて 捨てきって 空っぽの...
2020.08.18 14:45導(しるべ) 法華経 方便品第二教えは方便である 極意は教えでは伝わらぬ あくまで掴み取るもの 歩いて歩いて歩きぬいて 磨いて磨いて磨きぬいて 山の高みに差し掛かる時 ようやく現る『意の極み』 だから教えは『方便』である しかれども 意の極み現れたとき それが極みと教える導(しるべ) そんな導として残した方便 それが仏の教えである 山裾に居ては導は役に立たぬ 役に立たぬからと理屈で捻じ曲げ 自ら誠を屈して 山を登らず高みを知ったつもり 生兵法は怪我の元 教えは単純明快なれど 極意は裾野に在りはせぬ...
2020.08.18 00:41ブログ再開及び『龍人和合・魂結』再開のお知らせ6月6日に一度休眠させていただきましたこちらのブログを再開したいと思います。この三か月の間、自分の内側に深く深く潜り込んで『癒奏術』の進むべき道を探ってまいりました。今後、世界が進んでいく道と『癒奏術』の道が一致し、道と道の『結び』が出来たと思います。この間にも当然導きは来ており、それらの導きにより『道の結び』がかなったわけであります。そんな導きが何かのお役に立てばと思いますので、それらもこちらのブログに上げてまいります。相変わらず難しいと思われてしまう導きの言葉の数々ではありますが、山を登り『奥宮』まで登られる方には有用な『道しるべ』となると思っています。山を登り高みを目指すからこその導きであり、山を登らない方には相変わらず意味のない言葉です。昨日、...