2020.03.29 03:34審神者(サニワ)せよいったい何故ここまでパンデミックになっているのか?誰も冷静な判断が出来なくなり、感情に振り回されてしまっているこの状況は明らかに「霊懸かり」の様相を呈している。日月神示 五十黙示録 第四巻 龍音之巻 第三帖 世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。目に見へぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ、ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下。神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん、高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感...
2020.03.17 11:30伊和の御魂伊和の『伊』は『意』『意』は立ち上る思い思いは田(かみ)心(こころ)大己貴命(おおなむち)の己は波動なり貴き御言の大いなる始めの火火は霊(ひ)なり伊和は霊和(ひわ)なり『伊和』から『三輪』へ三輪の『三』は『身』『意和』の『身』が『身和』なりゆえに大物主(おおものぬし)は神の器物の主と名付くる身は水なり火水(ひみず)和合し『火水(かみ)』となる御形は『三形』三つの形(かた)大己貴命(おおなむち)大物主(おおものぬし)さらに【大国主】なる三つの形同じに非ず別に非ず八重垣護りし【事代主】【少彦名】の黄泉姿地に分かれ降りた【撞の神】伊勢のサヨリ厳島のタキツ三女神の最後の女神【田心姫】一宮の 八重垣の中 鎮まれり【撞の神】の最後の伊和戸開きたり御形は三形 三種の...
2020.03.16 16:40播磨一ノ宮【伊和神社】 導きと雑感 龍神会【奥宮】動画ブログ播磨一ノ宮の【伊和神社】と近くにあります庭田神社、御形神社の三か所に行ってきました。出かけるときは雪が降っていましたが、一ノ宮の方は若干みぞれ交じりの小雨が降っている程度だったのですが、なぜか太陽も燦燦と輝いていて「狐の嫁入り」状態。神社は・・・それはそれは素晴らしかったです。デジカメで動画を撮っており、撮りなれていないこともあってお見苦しいところが多々ありますが、よろしかったらご覧ください。
2020.03.14 05:18凶のち吉なんとなく無意識に並べていた我が家の神札でありますが、出雲の導きでこの二つ(岩長姫と長田神社=事代主)が並んでいることの意味を初めて知って笑ってしまった。神話では接点が無いはずのこの二神ですが、並ぶべくして並んでいるという因縁がちゃんとあります。先日行った出雲大神宮で再び「事代主」が顕れた。昨年、籠神社に行った時にも顕れ、その後の展開はすごいものであった。
2020.03.12 07:08過去にある未来昨日の動画の補足として書きます。過去を追っていくことで未来を創造しているということですが遠い過去に神話や伝承として残っているものが、実は過去に起こった「事実」ではないということがあるわけです。「事実」でないこと起こっていないことがあたかも起こったことのように何故か伝承されている。もっと詳しく言うなら、過去はそうであったという事実と微妙なズレがあるということ。しかし、ズレているからと言ってそれが嘘や間違いなわけではないということ。そこには確かな「真実」がある。そんな「過去にはなかった過去の中の真実」に向かっているわけで、そこにたどり着いたとき「新たな世界」が誕生する。それは、過去にあったものと似て非なるもの。全く新しい形として生まれ変わるというのが正しい...
2020.03.12 02:23Youube動画で「龍神会【奥宮】」始めました龍神会【奥宮】勉強会の中止をするにあたって、勉強会でお話しする内容を有料動画で配信いたします。それに合わせてブログ的な動画も配信していこうと思いました。導きから与えられた言葉の数々をこのブログで書き綴ってきました。それは確かな「道しるべ」であります。しかし、道しるべは「歩かなければ見えてこない」ものです。歩いて進んでいるから「道しるべ」として生きるものであって、歩かない人にとっては単なる「散らばった標識の数々」でしかありません。今までのブログはそのような感じで書いてきました。そしてこれからもそのように書いていくでしょう。ただ、もっと細かく説明出来たらという思いがありますが、それを文章にすればほとんどの人が余計に迷うことになります。法律文章がややこしく迷...
2020.03.07 18:38龍神会【奥宮】勉強会中止のお知らせと今後について3月15日日曜日に名古屋市で予定しておりました「龍神会【奥宮】勉強会」を中止することにいたしました。コロナウィルスの影響から不安のある中で無理に開催をすることはできないと判断したためです。楽しみにして下さっていた皆様には誠に申し訳ありませんが、今は御身体第一としていただきたいと思います。わざわざ遠方から来られる予定の方々もいらっしゃいましたので、本当にありがたい思いでした。そして、これを機に勉強会の在り方を新しい観点で考えようと思います。さらにはこのブログも新しい段階へと移行しようと思っていましたので、勉強会及びブログを合わせた新しい形をとっていこうと思います。今まで通りブログは更新しますが、より高度で詳細な情報を新たなブログ形式でお届けしようと考えて...
2020.03.07 04:13神の偶像現実を捨てたとき神から離れる神事と言いながら目の前の現実から遠ざかり出来ることをせぬやれることをせぬ現実から遠ざかり心地よさを求め神の偶像を求め自らを偶像に重ね偶像の光に酔い誠の光を見失うもはや誠の光の見分けもつかぬ人の中に誠の光を見つけられねばどこにも見つからぬ人の中に神を見つけられねばどこにも見つからぬ自分の中に見つけられねばどこにも見つからぬ自分の中に偶像を重ね追えば真言(まこと)届かず魔言(まこと)へ向かう偶像に成り下がり愚かなる人となる魔言に誘われ魔界へ至る誠の心で見れば偶像の中にあるひとかけらの誠を見る偶像の先にある経綸(しくみ)を見る経綸(しくみ)は理(みち)理(みち)は言分(ことわり)この世の現実をないがしろにするもの魔言なる神を拝む前...
2020.03.04 05:00壺の中の賽(さい)の目 ~軒猿その5今現在起こっていることの終着点はまだまだ見えていない。コロナウィルスは『未知』の部分を多く含んでいる。だからこそ『わからない』という現実を肚に据えなければならない。必死に答えを探そうと躍起になって心が逸(はや)る。そんな逸る心に『喜怒哀楽』の感情が張り詰めている。だから、あーでもない、こーでもないと必死になっている。まるで賭場の丁半博打の壺の中身の賽(さい)の目をグルグルと想像し、張り詰めた状態で『壺』にくぎ付けとなっているようである。透視能力でもあれば凝視していれば壺の中身は見えてくるだろうが、わからないものはわからないのである。丁半を『賭けた』時にすでに出来ることは終了している。壺が空くまでは終着点はわからない。人がいかに『博打的』に生きているかと...
2020.03.03 06:57磨くかつてヒスイで勾玉を創る人々は、ごつごつの原石を来る日も来る日も石を削って磨いて勾玉の形を作っていたその過程が魂を磨く道削ったり磨いたりするのは原石にひたすら「抵抗」を与え続けるということそれがなければ磨けない魂を磨くも同じ抵抗があるから魂が磨けるこの世界はいわば「抵抗」の世界それゆえ魂を磨くため生まれるしかれども、その抵抗から逃れんがため、消さんがために「魔法」を求める生まれ落ちた意味を無にする魔法それが多くのスピリチュアルという世界の昨今のありよう現実に起こる「苦」は魂を磨くための抵抗であるその「苦」の抵抗に抗い進むことで魂は磨かれてゆくそうして磨かれて初めて魂は原石から光を放つ勾玉へと進化してゆく。「苦」は【羅神】が与えし「羅苦」である光へと還る...
2020.03.02 10:51珠玉の宝突然の導きで赴いた神戸の『氷室神社』【恋愛弁才天】なるものが恋を叶えることで有名な神社そんなところへ突然の導きであり、訝りながら調べてみると平清盛公が直々に厳島神社から市杵島姫命の分霊をここに収めたということで「それならわかる」と納得して赴いた。そして神社の境内で何故か以前に行った京都の【神泉苑】のお守り札がポロリと落ちた。そこからトントントンと導きの連鎖で「あっ!!Σ(゚Д゚)」とすごいことに気付いたわけです。ブログに書くのを控える・・・と決めてからの導きでもあり「これは書けないな」という内容でもありますが、それ以外のことをどうやら書いていた方がいいようなので書いておきます。たぶん内容は???となりますが(^^;)・・・・・本来入ってはならぬところま...