導(しるべ) 法華経 方便品第二




教えは方便である

 極意は教えでは伝わらぬ 

あくまで掴み取るもの 

歩いて歩いて歩きぬいて 

磨いて磨いて磨きぬいて 

山の高みに差し掛かる時 

ようやく現る『意の極み』 

だから教えは『方便』である 


しかれども 

意の極み現れたとき 

それが極みと教える導(しるべ) 

そんな導として残した方便 

それが仏の教えである 



山裾に居ては導は役に立たぬ 

役に立たぬからと理屈で捻じ曲げ 

自ら誠を屈して 

山を登らず高みを知ったつもり 


生兵法は怪我の元 

教えは単純明快なれど 

極意は裾野に在りはせぬ 

自らの足で高みへ登り 

自らの手で掴み取らねば 

教えの方便の意すら掴めぬ 



【柳生新陰流極意 神妙剣】 

斬り結ぶ 刃の下こそ地獄なれ 

たんだ踏み込め 神妙の剣 


刃の下の地獄に入りて 

ようやく掴める極意なり 

地獄に入らねば掴めぬ 

その導(しるべ)こそが極意の方便 

導(しるべ)を通して伝わる極意 


仏陀の極意を残した導(しるべ) 

多くの教えの方便たち 

掴めて初めて仏陀の意を知る 

極みに至りて初めて光る 



相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等 

十如是の中にが息づく 

『相』から起こりて我今『果』なり 

ゆえに『報』いて『本末究竟等』なる 



真ん中『天』にて左右に『日月』 

那岐那美結びて龍生まれ

龍の力が作用し因出て 

縁(えにし)結ばれ『果』と鳴り成る 

生命巡りて相に報われ 

永遠に弥栄える『本末究竟等』 



曲げても曲がらぬ理(ことわり)を 

理屈で捻じ曲げられはせぬ 

十如是逆さにしてみても 

神の理(ことわり)変わることはなし 

報いで淀みが生まれるだけ 

淀み溜まれば祓われる 

それも神の理(ことわり)である 



曲がることのない誠の理 

おのれの心にある導(しるべ) 

けっして曲がらぬ誠の柱 

歩いて登って磨いて掴み取れ