なんとなく無意識に並べていた我が家の神札でありますが、出雲の導きでこの二つ(岩長姫と長田神社=事代主)が並んでいることの意味を初めて知って笑ってしまった。
神話では接点が無いはずのこの二神ですが、並ぶべくして並んでいるという因縁がちゃんとあります。
先日行った出雲大神宮で再び「事代主」が顕れた。
昨年、籠神社に行った時にも顕れ、その後の展開はすごいものであった。
『ということは今回もそうなるのか?』
出雲へ誘われているということは、やはり続きであることは確かである。
昨年のこれらの導きの間中(2週間ほど)ずっと頭に恵比須さんの【帽子】を頭に被せられていた。
被せられている間はずっと頭がモヤモヤする感じがしていた。
始めはその意味がわからなかったが、どうやら「思考が外に漏れるのを防ぐ」ためだったと教えられた。
だが今回は帽子を被せられている様子はない。
そこが前回と違うところである。
出雲への導きがきた後、今まで自分がしてきたことの「答え合わせ」のように、ひとつの文章にたどり着いた。
えそれを見たとき初めて「一人じゃない」と思って嬉しくなった。
昨年たどり着いたある一つの答え
『宗像三女神』は『瀬織津姫』が分離した姿であると
しかしそんなもの誰もわからないわけで、そして信用しないわけで・・・
それは孤独な中で一人進むようなもの
しかし、自分以外にもそのことをちゃんと知っていた人物がいた。
それが出口王仁三郎氏である。
氏の残したものの中に
『撞の大神は世界の為に位地を捨て臣位に降りて、其体を素盞嗚尊の生み坐せる三女神に変現し、二度目の天の岩戸を開き給ふ事に成りぬ。』
という一文を見たとき、ようやく孤独が癒された気がした。
【撞の大神】とは【撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)】
【瀬織津姫】の別の名である
それは、導きに・・・神々の計画に則ってきちんと進んできているという証。
それは同時に出口氏の預言がきちんと進んできているということの証でもある。
人はもう知らねばならない。
自分が何を為すべきかを。
国常立尊は預言の中で言った。
『三分を残すために苦労している・・・』と
今年の旧正月に【伏見稲荷大社】へ行った時のおみくじであるが
「勝三分負け七分と知るべし」
「凶のち吉」
いよいよ大峠である。
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