かつてヒスイで勾玉を創る人々は、ごつごつの原石を来る日も来る日も石を削って磨いて勾玉の形を作っていた
その過程が魂を磨く道
削ったり磨いたりするのは原石にひたすら「抵抗」を与え続けるということ
それがなければ磨けない
魂を磨くも同じ
抵抗があるから魂が磨ける
この世界はいわば「抵抗」の世界
それゆえ魂を磨くため生まれる
しかれども、その抵抗から逃れんがため、消さんがために「魔法」を求める
生まれ落ちた意味を無にする魔法
それが多くのスピリチュアルという世界の昨今のありよう
現実に起こる「苦」は魂を磨くための抵抗である
その「苦」の抵抗に抗い進むことで魂は磨かれてゆく
そうして磨かれて初めて魂は原石から光を放つ勾玉へと進化してゆく。
「苦」は【羅神】が与えし「羅苦」である
光へと還るための導きである
磨かれ光を放つようになったとき、「羅苦」は「楽」へと進化する
光を妄想しても魂は光らず
イメージだけで光っても、魂の現実は磨かれず光らず
現実はこの世の現実のみならず、あの世の現実も見えなければ「目覚め」とならず
眠ったまま「目覚め」の夢を見るに等しい
あちら側と繋がれば魂が磨かれたのではない
次元が上がったのではない
不思議の力は高次の力に非ず
高次の神々は魂が磨かれ光りとなって帰還するのを尊ぶ
魂の乗り物である「身(み)」より魂そのものの「霊(ひ)」を尊ぶ
死ねば身はなくなる
身のない世界は抵抗のない世界
ゆえに磨きたくとも磨かれぬ
磨かれねば光らぬ
光らねば上がれぬ
上がれねば「低次元」のあの世の溜りからお出直し
長い長い時の中でお出直し
知あるものは知を磨き
技あるものは技を磨き
心あるものは心を磨き
今あるものを磨き
光となって帰還せよ
「苦」あるはこの世の理(ことわり)
「抵抗」あるはこの世の理(ことわり)
逃げるは理(ことわり)曲げる理屈
魂の光を通す柱を曲げる
曲がれば光届かず「羅針」失い迷う道理
苦の花が咲き乱れるとき
人は磨かれ光りゆく
神の光の「羅針」を受けて輝く
日の光を受けて夜空に輝く月の如く
羅神の心 羅心(らしん)を放つ
弥勒菩薩で溢れる世界
神人和合した弥勒
魂が磨かれ光る真人なる
逃げて歪んで曲がって「魔人」となるなかれ・・・
あと8名となっています。
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