『疑う』ということは答えや事実がわからないということである。
そのわからないことを理解しようとし、最終的に『信』に変えようとすることである。
それでもわからなければ『わからない』という事実がそこにある。
そしてその『事実』をもって答えや事実を探すことを『一旦肚に納めておく』。
それは、パズルのピースが無いのに無理にピースを埋めようとしないということである。
『信ずる』ということは他者を信ずる自分自身を『信ずる』ということ。
わからないことも含めて自分自身に肚をくくれているかどうか。
『信ずる』という言葉は『自己信頼』が基盤である。
人が『騙された』と言うとき。
それは『信頼を裏切られた』わけではない。
『信ずる』という言葉を使いながら、結局のところ『アテ』にしていたものが『ハズレた』なのである。
アテにしてハズレるのはバクチと同じである。
バクチをしてハズレて『騙された』『裏切られた』となっているわけである。
多くの人がそんな『バクチ心』で動くゆえに、大衆心理としてのパニックや感情の爆発が起こる。
肚をくくれていなければ軸がぶれる。
それは『自分自身を拠り所に出来ていない』ということである。
自分自身に拠り所なくぐらぐらと揺れているのに、他人の『ブレ』は許さない。
揺れて慌てて掴んだものが、安定していないからといって怒る。
自分自身を棚に上げて他人は許さない。
アテがハズレた怒りをぶつける『石つぶて』としての『騙された』という言葉。
神の世界も騙しあいである。
神々ですら『アテにする』こともある。
怒り、悲しみ、恨み
地獄を作り出す想念を人だけでなく神々と呼ばれるものたちも放っている。
『騙された』と思うとき・・・
結局は自分自身を自分が『騙している』のである。
自分を信頼するまでに至らないため、自分以外の何かにすがり、それが信頼に至らないからといって憤っても仕方ないこと。
自分自身が信頼の足る自分になったとき、はじめて『信じる』ということを知る。
だから自分を騙さない。
自分を騙そうとする自分と対峙して退治することが『自己信頼』となる。
それが『天叢雲(あめのむらくも)』を打ち祓う剣となる。
心を晴らしてありのままを見つめる。
それが磐石の柱である。
心を晴らし実(じつ)と嘘(きょ)を見極める。
それは『嘘を見抜く』に非ず。
何事にも揺れないおのれの誕生である。
・・・・・・・
そろそろブログでの『示し』も終わりになるだろう。
おおかたの『理(みち)の示し』は今まで書かれた多くの記事の中にある。
今月末頃に春分を迎え、星々の一年が始まる。
そのころちょうど牡羊座で新月を迎える。
始まりの機運である。
そして
山羊座にある土星が一旦水瓶座へ移動する。
終わりと始まりが交差する時間へと入ってゆく。
来年からの『序章』の時間が始まる。
星々の力は現界だけでなく『三千世界』に及ぶ。
渦となるか山となるか
心次第である。
幸運を祈る。
0コメント