偽りの神
地獄的想念が地獄を現出させるのと同じように、歪んだ神奉りは上ならぬ横や下の世界に『歪んだ神界』を創出する。
かといって給料分働かず・・・
である。
崇(あが)めると祟(たた)る
縛るための縄をはり、鏡の理(ことわり)を利用して、『祀るがごとき縛り』を行う。
囚われの女神を解放したとき
『詳しい答えは後で』
と言われていた。
そして施術のあと睡魔に襲われ抵抗できず4時間ほど眠っていた。
そして目覚めてこれを書いている。
これが『囚われの女神』の答えである。
『神祀りで縛られた女神を解放した』
ということである。
恐らく・・・
しばらくこのようなことが続く・・・・
『縛られた神々の解放』である。
本当の神祀りとは『奉(まつ)らう』ことであり『祭る』ことである。
常に共にあり『意』を同じくすること。
それは『意乗り』である。
祭りの神輿(みこし)は『我が身』
どこかに隠された【神宝】などではない。
人蓋見よ いつ無成や?(一二三四 五六七八?)
ひふみ唱えて省みよ
岩戸開かれ言(九十)出ずる
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