言答(いわと)開(あ)け




昨日、第73代目の武内宿祢さんが亡くなっていたことを初めて聞き、少なからず衝撃を覚えた。

『私の代で武内宿祢は終わり』と言っていただけに、これで本当に武内宿祢という存在がこの世から無くなったということである。

悔いのない人生であったことを心から願います。


神功皇后と共に三韓征伐に従軍した参謀という武内宿祢。


さらに現代では「皇祖皇大神宮」を起こした同族の竹内家。

神世の時代から続くといわれる「竹内文書」や「モーゼの十戒石板」などを守ってきたが、何度も何度も追われ迫害され、多くの古代の大切な品々を破壊されてきたという。

「南朝方」ということで歴史の中で辛酸をなめてきたのかもしれない。


そんな今が数千年の時の中での大きな分岐点であることは明らかなのである。





一人が何をしたところで世界が変わるわけでなし

そんな「仕方なし」の思いが

歪みを受け入れる心となる


そもそも一人が何をしたところで世界が変わるわけはない

そんな当たり前の道理を言い訳にして逃げ続けて今に至る


一人が変えられる世界は自分が関わる世界

自分が手に届く世界

自分の声が届く世界

それだけ変えればいいんだよ


世界の人が同時にそれをやれば

世界は一瞬で変わる



やるかやらぬか分かれ道

二線二重の分かれ年

いばらの道は神の道

水に流れるは獣道


この先どうなるかという問いは

どうするかという応えで変わる


言答(いわと)開くも閉めるも自分

応えが言答(いわと)を開く鍵



自分の世界を変えるだけ

自分が思う理想の世界へ

やるか やらぬか

2020年(二線二重年)分かれ道


二二八 八〇十  一八十 〇十

(フジハハレタリ イワトアケタリ)