自らが【神】であるというならば、その名に恥じぬ生き方をせねばならぬ。
おのれの「身」を立てるために神の名を使うことは【冒涜】以外のなにものでもない。
それほど心を急き立てる大きく強い【炎】が「神の火」である。
「神の火」は神の思い
思いが霊(ひ)となり乗り移る。
その火の強さ大きさを感じれば、我が身可愛さなど消し飛んでしまう。
【神の名】を口にするとき、その神の責務を両肩に担う。
神に恥をかかせぬように
神の名に泥を塗らぬように
我が身を通して神の【意】を顕すために、この身を削ってでも・・・と思う。
神の高望みばかりして、その神の責務を無視して、どうしてその神が顕れようか?
我が身可愛さに神を求め
人より抜きん出んがため神を求め
神の【意】を無視して高望みばかりして
その責務の『重み』を見ようとしない
見ようとしなければ【意】は通じぬ。
背負えなければ【意】を顕すことは出来ぬ
出来ないところに神は顕れぬ
あたりまえの道理である。
神が今この世に現れたら何をする?
高望みしている神が現れたら、いったいこの世でどう生きる?
今のこの世界を省みて何とする?
ではそれを顕すという自分は何とする?
神の名は重い。
人の身でどれだけのものが背負えるのか・・・
それでも背負えるだけ背負う
今この時この世界で何を成さんとするのか?
その責務を背負えるだけ背負う。
この身が砕けようとも・・・である。
神の名を口にする者よ
その名にふさわしい責務を背負い、みごと顕してみよ。
誠の心で進むなら
神々は喜んでその身に顕れるだろう。
邪(よこしま)な心で神を口にするなら
神の名と共に魂をも穢すであろう
邪な心で祝詞を唱えれば
穢れが撒かれると同じように・・・
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