希望的観測が判断を誤らせることは多々ある。
探偵時代にその「希望的観測」が判断を鈍らせ、直感が訴えていた思いを引っ込めてしまったことで判断を誤り、もしかしたら助けられたかもしれない命だったのかもしれないという後悔をしたことがある。
「たら・れば」ではあるが、一般人の日常での話ではなく、プロとしてはそこに甘んじてはならないのである。
安倍政権は今年度の経済数値目標として「外国人旅行者の増加で4000万人」というものを掲げている。
当然その中には「春節祭」で見込まれる来日旅行者もあてこまれている。
そんなときに起きたバイオハザード。
安倍内閣のウィルス対応の遅さを見ていると、経済と天秤にかけて判断しているのがよくわかる。
「軽く済んでほしい・・・」
そんな感情が思考の判断に入り込み、「軽く済む可能性」の方が「危機」よりも大きく見えてしまい、大局を見失わせてしまうのである。
そんな空気が広がり、日本全体を覆う・・・
「空気を読む」ことばかりを行ってきた日本人ならではの「楽観視」が広がる。
おかしな話だが、まるで『ウィルス』のような広がり方である。
昨日もブログに書いたが、日本人は『ゆるす』ということをはき違えている。
だから皮肉を込めて『緩す』という言葉を使った。
そして日本人は『水に流す』という「ゆるし」を使う。
水に流して忘れよう・・・ということである。
神道の【大祓祝詞】も最後に水に流す。
で・・・・
その水に流した罪穢れは誰が処理しているんだ?ということ。
でもそこは見ない。
「誰かがやってくれる」という他力本願である。
水に流された罪穢れは高いところから低いところへ流れて行き、最後は一番低いところにある場所へ『貯まる』のである。
その淀みはいったいどうするのか?
しかしそこは考えない。
そして安易に「水に流す」。
もはや処理しきれない『淀み』でいっぱいである。
スピリチュアルで愛だ光だと言っても、結局は同じことをしていれば何の意味もない。
『闇を祓う』のが【光】である。
『淀み』を無視して愛だの光だの笑止千万である。
誰かが言っていたが『スピリチュアル』という言葉自体に魔的なものが潜んでいると。
確かに漠然としたイメージとなる言葉である。
つまりは言葉に『緩み』がある。
そして、『魔』は『緩み』に付け入る。
『緩み』に付け入り情けを引き出す。
そうして取り込んでゆく。
水と言えば『電気』も水と同じように高いところから低いところへと流れる。
最近、ヒーリングで吸い取ったものを落とし切れていないことに気付き、何だろうと調べていったら、どうやら『電気』であることがわかった。
電磁波の影響で身体に帯電した電気を吸い取って、流したつもりが物理的に流れ切っていない状態であった。
そんな電気が足に帯電していることに気付いて、「これはなんとかしないと・・・」と思い、アーシングするようにした。
日常の中で電気は欠かせないものになっている。
しかし、それが人の身体に帯電して不調を訴えている人も多い。
そんな電気が流れ込んできてこちらに帯電して、それがもとで冷えに悩まされていた。
たぶん元々静電気体質なので気付けたのかもしれない。
電気もそうであるが、結局、最終的に吸い取ってくれるのは『地球』自身である。
それを大祓祝詞のように「さすらい失いて」いると思ったら大間違いである。
誰かが「処理」しなければ無くならない。
『光』とはそんな淀みを『掃除』するもの。
その行為自体が『愛』である。
闇に在りて闇に染まらず
光に在りて光に惑わされず
本物の『光』の【原石】ちうものを見極めてほしいと願う
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