火水(かみ)の神殿




岩戸開きとは何ぞや?

そもそも岩戸とは何ぞや?

そのことを追っていくとどうしても【火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)】に行き当たる。


では【火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)】とは何ぞや?



ここで人の2元思考が邪魔になる。

どうしても「人間の如く」考える。



【伊弉諾大神】も【伊弉冉大神】も【隠身(かくりみ)】の神である。

【隠身】とはあらゆる存在の中に隠れているということ。

そこかしこに常に存在しており、その存在無しにこの世界は存在し得ない。

それが【隠身】である。


【火之迦具土神】が生まれるとき、【伊弉諾大神】と【伊弉冉大神】は必ず別れ、【火之迦具土神】は生まれると同時に【伊弉諾大神】に殺され、そこから様々な神が生まれる。

これ全て【隠身】の『巡り』なり



伊弉諾大神は陽の気

伊弉冉大神は陰の気


陰陽和合して様々な神々が生まれる

それが途切れることなく永劫続いている

【隠身】となりし神々の御蔭の力

それを象徴しているのが【太陽】


常に伊弉諾大神と伊弉冉大神から火之迦具土神が生まれ死に様々な神々が生まれている。

つまりは【岩戸】など存在しない。



では岩戸閉めとは何ぞや?


それが五六七(ごろな)

語呂名(ごろな)で紐解く




岩戸は『言戸(いわと)』

言葉で閉めた『言戸』である


伊弉諾大神と伊弉冉大神を分離して

伊弉諾大神を遠ざけた

伊弉諾大神は陽の気

霊であり火である陽の気



この世を水で満たさんがため

身であり水である陰の気の伊弉冉大神を【情け】の水にとっぷり浸からせ

【情け】溢れる世にするため

【情け】の物語を生み出し

【情け】が真ん中の世を作り出した

【岩戸】は【言戸】

【情け】の【水】が溢れる世界にもっとも忌むべき【火】を遠ざけし


情けの水は横に右往左往するばかり

水は巳の如く這うばかり




本来【岩戸】など無いところに【岩戸】物語を作り

あちこちに【岩戸】を作った

すべて【言戸】で仕組まれた【言戸閉め】



淡路島にある【岩戸神社(いわんどじんじゃ)跡】へ『行きなさい』といざなわれ

ここで【岩戸】は無いと理解した。

『岩戸は常に開いておる』

そう告げていた。

岩戸神社(いわんどじんじゃ)跡



そしてさらに島内の現【岩戸神社】へ行き

【岩戸】が人によって作られていることを理解した。

先山・岩戸神社





2年前・・・

【六甲比売神社】に呼ばれすべてが始まった。

そして【厳島神社】に呼ばれ【目覚め】を施されて様々なことが始まった。



なぜ【厳島神社】なのか?


そんな疑問を持っていた。




宮島全体が神の社

山上に空海が施した【火継ぎの炉】が今もなお灯っている。

そして平清盛が施した【水の神殿】

知ってか知らずかわからないが

拝殿で拝むとき

きっちりと『シリウス』の方を向いて拝んでいる

これらは

世界最古の宗教【ゾロアスター教】の神殿造りである。



【火継ぎ】

【水の神殿】

【シリウスの女神・瀬織津】



【厳島神社】には三女伸が祀られている

それは太古より伝わる【三相一体の地母神】の姿


*三相一体・地母神の象徴

上弦の月(少女)

満月  (母親)

下弦の月(老婆)


情熱と愛と知恵


三相一体の【月の女神】の姿でもある



『月は水ゆえ【水の神殿】に鎮座する』



そして南を向いた神殿越しに常に【太陽】を拝む

弥山山頂より


神殿の奥山には空海が残した【火継ぎ】の火が灯り続ける



瀬織津姫が【シリウスの女神】と呼ばれるは、『太古よりの地母神』を指してのことである。




【厳島神社】は【火水(かみ)の神殿】

【厳の御霊】が鎮まるところ




『火水合わさり神現る』

*弥山中腹・瀧宮神社





【岩戸】はずっと開きっぱなしである

頭の中の【言戸】を開け

開いて【火】を入れよ

情熱の炎を灯せ

火と水合わさり火水(かみ)となる

陰陽和合の理(ことわり)

伊弉諾大神も伊弉冉大神もずっと仲睦まじき

【隠身】となりてすべての中に在り

火を灯せ

巳は火を最も恐れる




バラバラに引き裂かれた【月の女神】

気付けば・・・

それを集めてまわっていたこの2年である





もうすぐ新月

奇しくも誕生日です(笑)



磐余稚桜宮 (いわれのわかざくらのみや)