牛を頭に冠するとは
牛を冠した「義」の精神
【犠牲】の精神
それが【素戔嗚大神】の真の姿
蔑まれ罵られ後ろ指を指されようとも
為すべき愛を為す
愛は情けに非ず
愛は時に情け容赦無きもの
それゆえ情に溺れしものは
奥にある真の愛を知り得ず
愛を悪とし光を闇とし
蔑み罵り石を投げ後ろ指を指して
『悪』の烙印を押した
イエスも自らを生贄と捧げ
最後の晩餐で弟子たちに
パンを自分の肉であるとし
ワインを自分の血であるとし
自らを生贄に例えて
【義】を貫き【犠牲】となった
正義とは言いながら
時に他者に犠牲を強いる
それは
本来の【義】の精神とは逆さま
言葉も逆さまなれば行いも逆さまである
【犠牲】とは
【生贄】とは
神に身を返すこと
神から預かり借りた身は
【霊(ひ)】を立てるためのもの
【霊(ひ)】を蔑ろにするならば
【身(み)】は意味なし
それゆえ返上する
【義】とは
【霊(ひ)】を貫く精神
愛の火 思いの火を貫く精神
そのために我が身を捧げる
そのために神から預かった【身】であれば
当然のこと
我が【身】可愛さに【義】を蔑ろにする
愛より我が身
霊(ひ)より身(み)が大切
それが【情け】
【情け】ゆえ【義】を葬り
誠の【愛】を【悪】と罵り
我が身可愛さに【悪】に縛り付けた
キリストを十字架に磔にしたように
【磔】にされるのを知りながら【義】を貫いたキリスト
【悪】とされるのを知りながら【義】を貫いた素戔嗚大神の魂
【大悪党】と呼ばれながら【義】を貫き死んでいった楠木正成公
頭に【牛】を冠するとはそういうことである
それが【牛頭天王】の真の姿
【素戔嗚大神】の真の姿である
我が身可愛さに【義】を【悪】と為したままの神話に【誠】無し
未だ【火水(かみ)】を逆さにしたまま
【水】が先で【火】が消えたまま
巳化(みか)したままの神話なりき
よくよく神話を眺めてみれば
情け心で溢れている
情けの鎖で編んだ籠に
神を閉じ込め奪うばかり
情けの水で溢れた世に
退治したはずの八岐大蛇が
四方八方鎌首もたげて
情けの水を吸い上げる
八岐大蛇を退治するは【火】あるのみ
【霊(ひ)】を立て【火(ひ)】を灯す【霊火理(ひかり)】
思いの【火】を継ぎ事を為す情熱の炎
それが【十拳剣(とつかのつるぎ)】
働く剣
おのれの技を立てる剣
おのれの義を立てる剣
技を磨きおのれを磨き珠を光らせる
珠は魂
光は霊火理
魂の火を継ぐため身がある
火を継がねば身は用無し
それが【義】
誠の【正義】
真の【愛】
ゆえに頭に【牛】を冠する
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