『なんとかせよ』
「(-_-;)」
そんなやり取りのようなことをしていたら、背中に邪気が張り付いた。
「さっきの人だな」
ねっとりとしたものが背中にへばり付く・・・・
「仕方ない」
隠形の真言を唱えながら浄化のための式神の龍を一体、二体、三体・・・・
気付けば七体送り込んでいた。
「これでよろしいか?」
『フム』
納得したのかしていないのか・・・・
ふと石碑から意識が離れたようだ。
「もしかしてこれに呼ばれたのか(-_-;)」
ちょうどいい時間になるよう仕組まれていたわけだ。
山を下りると日がとっぷりと暮れ始めていた。
・・・・・・・・・・
かりに八幡の神様に愛着があったとしても、これではストーカーと同じである。
神様に寄りかかりすぎて神様にマウントして乗っかっているのも同然であろう。
あれで八幡の神様がどうにかなるわけではないが、あの山に『魔』が入る入り口となる。
人の心が入り口となり、魔物の通り道が出来てしまうのだろう。
そうして入ってきた『魔』が本殿に現れたりしてくるわけである。
そんな『魔』を神様と勘違いしてしまうことも多々あるだろう。
かつて、魔術的なことで人に『神様』の分け御霊を入れたことがある人と出会った。
神殿で行ったから、そこにいる神様の分け御霊が入ったと思い込んでいるが、魔術的なことで神が下りるわけはなく・・・
ましてや神殿あたりには様々な霊もいるわけで、そのいずれが入るかはわからない。
だが、思い込んだらそれがどんなに邪気を放とうとも『神様』と思い込んでしまう。
そうして神様の振りをする邪霊に翻弄されてゆくことになる。
奇異な出来事が起こればなおさら『神がかり』と思い込んで信じてしまう。
力を求め奇跡を求め、人からもてはやされることを求め・・・・
心次第で現れるものが変わってくる。
神社とはそんなところである。
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