神様へのマウント

先日、【豊玉姫】に誘われるように九州へ赴き、福岡県糸島市にある【志登神社】というところへ行ってきました。
そこへ行く前に宗像市にある【宗像大社】に立ち寄り、そのまま向かえばよかったものを、なぜか同社近くにある【鎮国寺】という真言宗のお寺に立ち寄ったが、これが山を登ったところにあったため、思いのほか時間がかかってしまい、目的の【志登神社】に着く頃には夕方ごろになっていた。
しかも小雨が降りだしており、道すがら傘を買ってむかうことになった。


のどかな田園風景の中に佇む小さな森のように【志登神社】がある。
写真を撮ると『やっときたか』と言わんばかりに神社の上に龍神が現れる。

志登神社へ

神社へのあいさつを終えてホテルへ戻ると、ドッと疲れが出てきてそのまま眠り込んでしまった。
2時間ほど眠りゆったりとお風呂に入って、再び就寝・・・(=_=)

そして翌日は周辺の神社を回り、その後博多から船で志賀島へ渡って【志賀海神社】へ行く予定にしていましたが・・・
朝から『宇佐神宮へ・・・』とのお導き(-_-;)
「いやでも志賀海神社へは行かないと・・・」
『行ってからでかまわぬ』
「マジか・・・(-_-;)」

ホテルを出て【志賀海神社】へ向かうと、そこはとてもとても美しい海の景色が広がっており・・・
「帰りたくない。しばらく居たい。」という思いに駆られる。

(志賀海神社からの景色)

そんな思いを振り切って「宇佐」へと急ぐ。
小倉まで新幹線に乗り、小倉から特急列車に乗り・・・
15:30頃には宇佐神宮へ到着。
30分ほどで終わるのかな・・・とタカをくくっていたのですが、神宮前でタクシーを降りるときに運転手さんが「まわるのに1時間以上はかかるよ」と教 えてくれた。
参道を通って本殿までが結構長い。
とりあえずは御本殿でご挨拶をしようと歩いていたら、途中左手に向かう長い長い道があり、その奥に摂社の鳥居が見える。
引っ張られている感じだが、あまりに遠くに見えるので「後で覚えていたら寄ります」と心の中で呟いて本殿へ向かった。
本殿も上宮と下宮があり、その他の摂社も回っているとやはり時間が経っている。
いかんせん広い・・・
気付くとだんだんと薄暗くなり始めており、神社の方たちも片づけや帰路に着く人もちらほら。

そして一回りしたから帰ろうと再び参道に差し掛かったところで、再び先の横道の先にある摂社のほうに意識が引っ張られる。
「いかねばならぬか・・・」
そう思って横道へと進むが・・・長い(^^;)
見えているがなかなか近づいてくれない。
それでも根気よく歩いてなんとか鳥居のところまで来ると・・・今度は長い階段が立ちふさがる。
鳥居の奥の暗がりから誘われるように山の中へ入ってゆく。

途中に現れた摂社【護皇神社】に立ち寄ると
「ん?なんだ?妙にお酒臭い」
拝殿のところにお酒をこぼしたのか撒かれたのか・・・お酒の匂いがプンプンする。
「だれかがお酒を撒いておあいりしたのだろうか」
そんなことを思いながら、その摂社を後にして頂上あたりにある【大尾神社】へ向かう。

頂上に着くと車が一台止まっていた。
いつでも出られるような格好で、しかも邪魔にならないよう端っこに停められているのを見て、関係者か誰かだろうと思った。
停め方が慣れた人の配慮を醸し出していたからだ。
だが回りに人はいない。
「業者さんかな?」
そんなことを考えながら拝殿に手を合わせる。

拝殿場所から奥の本殿が見えるが、その本殿の前に大きな石が置かれているようだ。
「もしかしてあの大石が御神体なのか」
そんなことを考えながら石を眺めていると、石のあたりで何かの明かりがゆらりと揺らめいた。
「ん?」
目をよく凝らしてみると、どうやらろうそくの火が灯っており、その明かりが揺らめいたようだ。
なんでろうそくが・・・山火事にでもなるぞ。
とおもってじっと見ていて
「!?」
「・・・・・・・・・・・」
大きな石だと思っていたのが、実は『人』だと気づいた。
女の人が本殿のところでろうそくを前に立てて座り込んでいる。
「ほんとに人か?・・・まさか幽霊じゃないだろうな。」
目を凝らせば凝らすほど、あきらかに中年の女性が座り込んで微動だにせず石のようになっているのがわかる。

「中に入っちゃダメだろう。一体何をしているんだ?」
今度は意識を人に凝らしていると、今まで石のように黙り込んでいた相手の意識が反応してきた。
禍々しい邪気はない。
さりとて清浄さもない。
重い重い石のようにただこちらに意識を向けただけのようだ。
意に介さない
そんなことのようである。

仕方ないのでその場のお祓いをして帰ることにした。

すると今度は帰る途中に道の途中にあった大きな石碑が語り掛けてくる。


『なんとかせよ』

「(-_-;)」


そんなやり取りのようなことをしていたら、背中に邪気が張り付いた。

「さっきの人だな」

ねっとりとしたものが背中にへばり付く・・・・


「仕方ない」

隠形の真言を唱えながら浄化のための式神の龍を一体、二体、三体・・・・

気付けば七体送り込んでいた。


「これでよろしいか?」

『フム』

納得したのかしていないのか・・・・

ふと石碑から意識が離れたようだ。


「もしかしてこれに呼ばれたのか(-_-;)」

ちょうどいい時間になるよう仕組まれていたわけだ。



山を下りると日がとっぷりと暮れ始めていた。



・・・・・・・・・・



かりに八幡の神様に愛着があったとしても、これではストーカーと同じである。

神様に寄りかかりすぎて神様にマウントして乗っかっているのも同然であろう。

あれで八幡の神様がどうにかなるわけではないが、あの山に『魔』が入る入り口となる。

人の心が入り口となり、魔物の通り道が出来てしまうのだろう。


そうして入ってきた『魔』が本殿に現れたりしてくるわけである。

そんな『魔』を神様と勘違いしてしまうことも多々あるだろう。




かつて、魔術的なことで人に『神様』の分け御霊を入れたことがある人と出会った。

神殿で行ったから、そこにいる神様の分け御霊が入ったと思い込んでいるが、魔術的なことで神が下りるわけはなく・・・

ましてや神殿あたりには様々な霊もいるわけで、そのいずれが入るかはわからない。

だが、思い込んだらそれがどんなに邪気を放とうとも『神様』と思い込んでしまう。

そうして神様の振りをする邪霊に翻弄されてゆくことになる。


奇異な出来事が起こればなおさら『神がかり』と思い込んで信じてしまう。

力を求め奇跡を求め、人からもてはやされることを求め・・・・



心次第で現れるものが変わってくる。

神社とはそんなところである。