剣禅一如の神武





禅を哲学的に捉えるとわからなくなる

迷路に入り込むことになる

せっかくの不文立字の教えを迷いの迷路に作り替えたのはいったい誰なのだろうか?



禅の逸話も神を知ればおのずとすんなり理解出来るものだ

『人は常に神を顕している』

そのことを気付かせるために何故か迷路を作りこんでしまった

それは【神】という言葉を削除したからに他ならないだろう


そんな禅が剣の世界に入ると

何故か【神】が現れる

それは極意の境地

そこに至ったときに【神】が剣に現れる

剣を遣う人に現れる


しかし

再び禅に戻る

すると【神】は「常に現れている」ということになる

それを【仏性】と言う



【神】でいいじゃないか

なぜこだわる?

なぜ言葉に囚われる?


囚われを忌み嫌う禅の初めに言葉の『囚われ』がある

始まりに『囚われ』がある教えがどうして『囚われ』から解脱させることを説けるというのか?




剣禅一如を志した武士には神が現れる

人を殺す技術に何故神が現れるのか?


そこには日本の『武』という独特の世界がある

世界中どこにもない武士道という『武』の道

それは【神武の剣】の道


人に「荒魂」があるのは自らを助けるため

そこに【神武】の理がある

ゆえに神は人に「荒魂」を授けたのである



日本の兵書【闘戦経】を書いた大江氏は、日本に入ってきた兵書【孫子】の優れた理に感心すると同時に「この兵書の根本には『恐れ』がある」とも見抜いた

おそらく現代の日本人では気づかないかもしれないが、大江氏は孫子の中の世界観の根底に『義』が無いことに気付いた。

根底というのは、人々の心の奥底にある根底の潮流に『義』がない前提で孫子が書かれていると見抜いたのである。

それゆえ「日本にはそぐわない書である」として長らく封印した




戦うことの意味も剣という武器の意味も『人の心の根底に流れる潮流』が違えば全く違うものとなる。


今はどうか知らないが、かつてのヤマト民族の戦いの根底には『義』があった。

それゆえ戦いといえど無駄な殺戮はしない。

そして敵となった相手、戦った相手に対して『天晴れ』と称賛しもする。

その称賛は相手の心の根底にある『神武』に対してであり、貫かれた『義』に対してであり、神から授かった『荒魂』に対してである。

神を現した相手に『天晴れ』という言葉の称賛は、心が曇らず晴々していて、そこにすんなりと神を現したということ。




剣禅一如とは剣と神を一如とすることである。

心に曇りなく晴々として神を現した剣。

それが極意

神妙剣や無想剣などの極意は心の曇りを晴らすことにある。


天晴れ神を心に現して神武を貫く



剣禅一如の神武なり