根底にある潮流 八咫烏その十一





10年前と何が変わっているのだろうか?

20年前と何が変わっているのだろうか?

30年前と何が変わっているのだろうか?


一度捨てたものと再び取れと神々から伝えられはしたものの

一見したところの見た目の変化は窺われるが、根底の部分では何も変わってはいない

むしろ見た目の変化に目を奪われて根底の潮流を見る目がなおざりになってなってしまっているのではないだろうか?


目覚めた

洗脳は解けたという声は多々聴くが

結局は表面上だけの変化で根底は変わっていない


感情に流される思考

無意識下の恐れの誘導に目を逸らされても気付かない



表面の薄い層だけが変わっても、根底の潮流を変えるだけの力はない



長い長い年月で培われた洗脳は

思考のみならず日々の生活や心身に深く浸み込んでいる

代々受け継がれることで完成する洗脳

それを人は「常識」と呼ぶ




日本の神々は日本だけの神々ではない

世界を照らす神々である

その類まれなる神威を見るには世界を見なければならない

そしてしっかりと真実と向き合わなければならない

たぶん

それが出来得るのはやはり一握りしかいないだろう

10年、20年、30年経てもそれは変わらない

100年も前から言われてきても、未だ根底の潮流は動かず・・・である



例えば

日本が侵略戦争をしたと言う

その事実は日本でさえこのありさまである

世界はどう見る?

では

ナチスは狂気に支配されていたという

外から見ている我々にはどのように見えている?

ガス室というものが存在したかも疑わしい状態で、ナチスは狂気に満ちていたと信じている

他国のことなど誰も調べはしない

教えられたからその通り・・・

では日本は世界からどう見えている?


思考は追いかけて明らかにして初めて智となる



ナチスの国旗は日本の日の丸の写し鏡である

裏返った卍がそれをきちんと表している

これが日本の神々が世界の神々という証左であり神威の顕れである


かの戦争中、日月の神が、そして神々が守りに動いていた

蘇った国常立神と豊雲野神が日月の神として・・・






根底にある潮流


世界の根底に流れているのは『存在』に対する潮流である

明治以降、日本では『立場』が『存在』の根底基盤となった

それ以前は『家』という制度

大化の改新で『藤原氏』から『藤原家』へと変わった

それ以前は『氏』を拠り所としていた

氏族、支族という血の流れ


では更にその先にあるもの、根底にあるものは何であるか?

その奥へ奥へと入り込んでいったとき

肉体を離れた『霊(ひ)』があり『魂』がある

そして更に奥にあるのが神の光


奥の奥にあるものがこの世を包み込んでいる




年月が経ち神々が現れても

未だ人は『立場』を拠り所にし、『家』を拠り所にし、『血』を拠り所にしている

100年経ってもこのありさま


その拠り所としている様々なものが巡りを狂わせている

それでも手を離せない

スピリチュアルで『手放し』ばかり語られてはいるが、一番大事な『手放し』は全くと言っていいほど出来ない

それは無意識化にある恐れ

長い長い年月に代々受け継がれてきた血肉に浸み込んだ『常識』という洗脳



それを手放せるものは少ない

それは神々もわかっている

それでも勝算があるというのだろう・・・


それゆえ導きに従い動くのみ・・・である