どうでもいいことなのですが、どうも昨日から楠公さんがうるさい・・・(-_-;)
ちょこちょことfacebookに投稿するだけじゃおさまらないので致し方なく書いてみます。
人は善成し悪成し生きている
生きている限りそこからは逃れられぬ
ただ
美麗を善とし不浄を悪と見なす間違い
それが世を狂わせし元凶
不浄を忌み嫌い自らは手を汚さず、そのしわ寄せが淀みとなる
それを「悪の巣窟」と呼び更に忌み嫌う
人が生きている限り美麗も不浄もあるのが理(ことわり)
ゆえに己が負うべき不浄の始末は己が負わねばならず
それをせず「美麗」に偏り「我は善なり」とのたまい、不浄を始末するものを「悪なり」と決めつけて石を投げるがごとき行為
それは単なる【偽善】である
そんな偽善者のしわ寄せが不浄の淀みを生み出しているにもかかわらず
その「不浄の始末」の恩恵を受けている。
改心できぬ愚か者
何十年も前から注意を呼びかけられているにもかかわらず、どんどん増えている
人は生きている限り常にちりも積もり埃も積もる
怒り、哀しみ、恐れ、苛立ち・・・・
感情はおのずと湧き出るもの
それを隠し「我は美麗なり」と見栄をはるから、隠した心の奥にどんどんちりや埃が溜まる
溜まったゴミをひた隠しにして更に「我は美麗なり」などとやっているから上っ面に反して悪臭を放つが如きあり様となる
そして悪臭は毒となり所かまわず吐き出し始める
少しずつ小出しに・・・
悪態をつき始める
それでも「我は美麗なり」と胸を張る滑稽な有り様
吐き出さなければ己を蝕む「毒」となる
また
自分の感情の「起こり」を見ないから
人の感情が放つ波動に共鳴して起こる感情の波に気付かない
テレビで誰かが怒っている
それに共鳴して怒りの火が灯る
もともと自分は腹が立っていないにも関わらず、いつしか正義を振りかざす「偽善者」に・・・・
まるで禍霊・依霊が張り付いて、その霊の感情に共鳴しているのと同じ現象である
自分が見えていないから、依られても憑かれても気付かぬまま
霊と共振しながら行動する羽目になる
メディアというものはまるで「霊」の如く、人の心に依り憑き心を惑わす
思い残した感情のちりや埃があれば、そこに依り憑く
押さえ込まれた「怒り」に火を灯されて
怒りが無いのに怒りが湧く
押さえ込まれた「恐れ」に火を灯されて
恐れが無いのに恐れが湧きたつ
だから掃除せよ
思い残しを片付けよ
自分を縛る鎖を断ち切れ
巻き付いた蛇を断ち切れ
善も悪も丸ごと含めて「人」である
神世の世界は
不浄を始末するものほど尊い
美麗に胡坐をかく神など居らぬ
根の国で「不浄」を引き受けし素戔嗚大神は
美麗に胡坐をかく者たちが恐れる
第六天魔王である
楠木正成は
義の大悪党である
復活の刻は近い・・・・
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