「子供の将来を大切にする・・・」という親を演じるなかれ




結局

人目を気にして二言目には「子供の将来が・・・・」という言葉で逃げてしまう。

『子供の将来を考えるちゃんとした親』と見られたいから?

子供に『立派な親』という姿を見せたいから?


子供の将来・・・

本当に考えてますか?


子供が生きる未来の世界

それがどんな世界なのか考えますか?

どんな世界なら子供が大人になって『幸せ』と思える世界だと思いますか?



子供をダシに不安を煽られて、自分が安心したいために『子供の将来が・・・』と言ってませんか?

周りの大勢と同じことをしていれば後ろ指指されずに済むから『子供の将来』をその他大勢と同じようにしようとしていませんか?



『子供の将来』という言い訳で

子供たちの『今』をしっかり見ていますか?

子供たちの生きる未来の姿を見ていますか?




自分もそうやって『将来が・・・将来が・・・』と言われてきたから『今』を見る目が塞がれてしまったんじゃないですか?

しっかりと『今』の自分を見てもらえなかったから、『自分』を見失ってしまったんじゃないですか?

親が自分を見失っていたら、子供も指針を失い『自分を見失う』ことになるでしょう。

人目を気にして演じることばかりで、それを子供にも押し付けて・・・

自分を見失うのは当然です。




誰かが決めた『いい成績』を取るために一生懸命になっているのかもしれません。

誰かに褒められるために頑張る癖が、人目を気にする癖となり、自分を捨てて『人目の映りのいい自分』を演じて生きている。

他人だけでなく親や子供に対しても『見られ方』ばかり気にしてしまう。


子供の将来は子供が自分で築き掴んでいくもの。

しかし、『人目を演じる』ことを義務付けられた子供たち。

自分に未来を見出せず、世界に希望を見出せない。


『周りに合わせておけば、人目によく映るようにしておけば幸せなんだ』と教える親の顔に『幸福感』がなければ、子供たちは『嘘』といとも簡単に見抜きます。

それでも子供は親のため、親に心配かけまいと『いい子』を演じ始めてしまう。

『いい親』を演じる親と『いい子』を演じる子供・・・

親子で演じ合い・・・・・・・




子供の将来を憂うなら

本気で『幸せ』というものを見せてやれ

本気で『幸せ』というものを感じさせてやれ

本当に『幸せ』な顔を見せてやれるな

子供はそこから学ぶだろう

そこに『道』を見出すだろう

『幸せ』という宝の探し方、見つけ方、味わい方を・・・・



教えの言葉の中に道はない

歩いた『足跡』が道である