例えば・・・
人はある種の病を『薬』無しに自ら治してしまう。
自然治癒能力である。
これが過去に実証された。
しかし・・・
『薬無しで治る』とは言えないために【プラセボ効果】という言葉が生み出された。
その言霊のレトリックにより自然治癒能力が、さも『たまたま起こったこと』や『例外的事象』として印象付けられたりする。
事実としては『治癒が立証』されているわけである。
しかし、どのような力学が働いたか、『例外的事象』として扱われることとなる。
例えば・・・
空想は想像であり妄想であり幻想である。
幻視であり幻聴であり幻覚である。
そこに現実はない。
そんな言霊のレトリックによって、次元の違う『現実』が排除された。
空想の想像は『別空間』での『創造』となる。
幻想、幻視、幻聴、幻覚は
現創、現視、現聴、現覚では?
五感を高めていけば、空間認識力は高まる。
そしてそんな五感の先に『次元認識能力』が開く。
研ぎ澄まされた感性が感知するものを
研がれない感性の者が語れば
当然、感覚的情報量が少ないため
認識できない。
その【認識できない】を
【無い】とする
そのために様々な言霊のレトリックを用いるわけである。
研ぎ澄まされた感性が
『知性』の時代にはとても厄介なものである。
ゆえに
『感覚=不確かなもの』として排除してきた。
知性は立証できるが感覚は立証できない
そんな言霊のレトリックも用いられている。
しかしながら
知性で立証したつもりになっていても
それはあくまで「数字や文字や記号」で合わせたもの。
それは「ひとまずの整合性」であり
絶対的なものではない。
だから年月とともに常識は覆り続けるわけである。
感性を立証しようとするとき
【整合性】を取る。
繰り返し同じ感覚の事象が起こる
同時に他者と同じ感覚を共有する
同時に同じ【幻想】と呼ばれるものを見たり聴いたり感じたりする。
その他様々な【整合性】の取り方がある。
それは「事実の積み重ね」であり、いわゆる【臨床】と呼ばれるものとなんら変わりはない。
多くの人は「現実主義」でもなく「理想主義」でもなく、どちらかというと「権威主義」となってしまっている。
「されてしまっている」と言ったほうがいいかもしれないが。
つまり「権威者」の言葉が絶対であり、疑う余地がないということである。
だから疑うことを最初からしない。
『これが現実』と権威をもって言われたことを信じる「権威主義」である。
だからといって何でも疑えばいいというものではないが・・・・
昨年5月に天王星が牡牛座に移行した。
牡牛座は【五感の星座】です。
12星座中もっとも自分の五感を信頼している星座と言えるでしょう。
だから天王星が牡牛座に移行して、次の星座に移るまでの約7年間ほどを
【感性の時代】
と評しました。
知識で叩かれ、権威で叩かれ、言霊のレトリックという【知】に偏った支配が、今後7年をかけて変貌していくでしょう。
権威者が何と言おうと、知識で何と言われようと
自己の【感覚】への絶対的信頼
それが揺るぎない【自己信頼】へと繋がります。
【自己信頼】を知識と権威で取り上げられてきた過去と決別する!
その覚悟が盤石な【自己信頼】を生み出します。
いくら言葉巧みに論理を構築されようとも、自分が確かに感じているもの、見ているもの、聴いているもの、味わっているもの・・・
その確たる【事実】への信頼が【自己信頼】となっていきます。
その信頼を高めるために、一つ一つ【整合性】を取りながら、事実を積み上げていくことで、本当の現実、真実が明らかになってくるでしょう。
五感を研ぎ澄まし
五感を味わい
五感を楽しむ
その先に次元の扉があり、神へと繋がる【岩戸】がある。
その【岩戸】を開けるのは
誰でもない
自分自身なのである。
龍たちが飛び交う世界
神々が寿ぐ世界
それは
目の前に
耳元に
鼻先に
舌先に
肌が触れる
『ここ』にあるのだから
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