【和】なる癒しの時 八咫烏その九





さて

何をどう書こうか迷っている中で書き始めています。

ただただ『時間があまりない』ということの衝動がそうさせているのでしょう。


これだけ尻に火がついている状態で、それでも未だ現実から目を逸らそうとしていることに対する怒りではなく、『どうすべきか』ということのほうが大切である。

いったいどこまで火が回れば『熱』を感じるのだろうか?


鼻先に火が回ってようやく気付いたという状況になれば、多くの人はパニックにになって、自分のことしか目に入らなくなるだろう。

そうならないために何十年も言われ続けていたことだが、結局はそうなってしまうのか・・・というやるせなさだ。



神が『謹んで申すことを聞け。【和】である』と伝えてきた。

それは【和】を失えば難は広がり多くの悲しみを生む。

だからこそ人のためにわざわざ最後の言葉のように【和】であれと伝えてきた。



かつて神が【和】を示し申して来た『昭和』の時

日本人は世界に対して【和】をもって事にあたった。

【和】を成すために戦い、【和】を成すために苦渋を飲み、【和】を成すために研鑽した。

ゆえに天の岩戸が成った。


再び神は【和】を示し申した。

ゆえに日本人は世界に対して【和】を成さねばならない。



【和】とは何であるか?

【和を成す】とはどういうことであるか?

それを先人たちが教えてくれているはずである。



【和】であるためには【道】にのらねばならない。

その道は真ん中に【幸】が貫かれていなければならない。

それを貫くには【勇】がなければならない。

【勇】が【勇】であるためには【輪】を途切れさせてはならない。

これらが出来なければ【難の渦】は乗り切れるものではない。


【和】は【輪】である。

それは繋がりであり

信頼であり

愛であり

誠である


誠なければ愛は顕れず

愛なければ信なし

信なければ孤となり

輪は途切れる



人と人が【輪】を作るは手と手を繋ぐこと

手を差し伸べなければ手は繋がれず

信がなければ手は差し伸べられず

愛がなければ手は差し伸べられず

誠なければ手はしっかりと握られない



ただ単に手を繋ぐことが

現代の人はいかに難しくなっていることか・・・・



癒しは

手を差し伸べ

手を握り返してもらうことから始まる

それが

癒し人の理(ことわり)である

それが出来なければ

どんな技を得ようと

どんな力を得ようと

癒し人とはならない



誠とは何か?

それを【いよいよ】の時に知ることにならないよう

【和】を持て



善のみにてはならず

悪成す【勇】も必要となる

善悪混沌する中で

【誠】の灯りは【和】のみである






癒し人 Healer by Koji

龍使いの女神の力と龍使いの力を持つ癒し人 ヒーラー & セラピスト 独自のヒーリングセラピーで『魂』まで【癒し】をお届けします そして女神の力で世界を癒します

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