神の光




神は【光】であるという

【光】そのものであると・・・・

眩い大元の【光】であると・・・・・・


だから【光】を放ちましょうと・・・

【光】でありましょうと・・・




【光】とは何ぞや?

【神は光】とは何ぞや?


言葉ばかりが広がり伝わり

その【何ぞや】が伝わらない



【光子(こうし)】であるという者がある

そして量子力学の話が持ち出される

すると余計に???となる


【光】は善であり【闇】が悪であるという者もある

これも漠然としてわからない

なぜなら、「善悪の基準」が人によって違うから

善悪の基準が違えばおのずと【光】の基準も【闇】の基準も違う

だからわからなくなる



次元を上昇していくと、目の前に様々な光が舞う

色とりどりの光が舞う

龍が舞い神々が舞い輝きを放つ

しかしそれは「この世」に非ず

ゆえに「この世の光」ではない




太古の人と現代人では【光】そのものの「価値観」が違うと思う

いつでも簡単に闇夜を照らせる現代と、太陽や月、星などの天体、そして『雷』や『火』しか【光】がなかった太古の人々では、【光】そのものの「神聖さ」が全く違う


大海原で太古の人は星々を「導きの光」としていた


夜空に燦然と輝く「シリウス」を基点として大海原を渡っていた

おおいぬ座のシリウス

またの名を「天狼星」という


夜空に美しくちりばめられた南天の「プレデアス星団」

おうし座にある星団であり、「竜骨座」にある星団でもある

その星座にある燦然と輝く「カノープス」


現代人でも夜空にはっきりとわかる「オリオン」

オリオン座で最も明るい「ペテルギウス」


そしてこぐま座の「ポラリス」

北斗七星に輝く「北極星」である



岸に近づくにつれて見え始める港の「篝火(かがりび)」

町や村に色付く家々の「火灯り」


そして、真っ暗闇とならないよう「月」が「太陽」の光を届ける


闇の中で迷わない「光」である






【神は光】とはこのような【灯り】であると思う

闇の中で普遍に変わらない【光】

闇の中で居場所を告げる【光】



ゆえに「迷い」は【光】を見失ったから

【神】を見失ったから世界は迷いの中にある





【光】であることは

【灯り】であること


【灯り】となるのは

【神】を見出すこと


見出した【神】を己の中に【湛える(たたえる)】こと


【神を讃えよ】は【神を湛えよ】である

それは【普遍に変わらぬ光を湛えよ】である




普遍に変わらぬ光

何もないところから天地が生まれ、生命が生まれ、営みが生まれ、恵が生まれ、巡りが生まれ・・・・

その普遍に変わらぬ【力】であり【意思】であるもの

天地創造の理であり道なるもの

それが

闇夜に迷わぬ【神の光】である