高取山の稲荷に呼ばれて





昨年末に引っ越した際に、さっそく『高取山』への導きがありました。

神戸でも有数のエネルギースポットとして知られるところだそうですが、まったく知りませんでした。

そんな高取山へ行き『悪を抱きまいらせよ』とのお導き。


てっきり悪い黒龍や稲荷たちがいるものと思っていました。

なので高取山に乗り込む前に、山の周りから攻めていく・・・

そんなことを考えてあちこちの神社へ。



まずは引っ越した先の周辺神社へ

左端の藍那天津彦根神社も入れて、菊水山も入れて9か所・・・

まずは地盤固め。


その後、楠公さんこと湊川神社など『高取山』の東側を押さえて・・・

イザ!高取山へ!!



しかし・・・・

実際に行ってみるとどうも様子が違う。


山は非常にウェルカムな雰囲気。

ですが・・・

『山が死にかけています』


山を登る道中には、無数の『稲荷』の祠や石碑がそこかしこにあります。

ですが・・・

エネルギーを感じない。


陽のエネルギーも陰のエネルギーも

どちらも薄い。


先の夏ごろからの台風や長雨、地震でそこかしこが崩れ

木々の根は地面から浮き上がってしまっています。

これでは山は持たない・・・

そんな感じです。


道中の祠や石碑があるたびに立ち止まって、柏手を打ってお参りする。

その柏手が強烈で、それだけで邪気を祓わんとするかのようです。

「手が痛い( ノД`)」

姫が怒っています(^_^;)




道中、すれ違う人はまるで動物霊でもついているかのように、ニヤニヤしながら歩み寄ってきて話しかけてきます。

しかし、何を言っているのかわからない(^_^;)

ちょっと不気味です。



そして頂上にある『高取神社』に到着

実はこの時はじめて【高取神社】が【稲荷神社】であることを知りました。

つまり、山全体が『稲荷山』です。



人気は殆どなく、おばあさんがひとり掃き掃除をしています。

それを横目に本殿でお参りをして、奥宮がある山頂へ


すると、おそらく近隣の(たぶん途中の茶屋の方)年配の男性が、なにやらぶつぶつ言いながら上がってきて、石碑が並ぶ小さな広場をぐるぐると回り始めます。

5~6メートル四方のスペースを、早歩きでひたすらにぐるぐるぐるぐると・・・

そしてぶつぶつと何かを発しています。


そのおかしな光景を、ベンチに座って眺めていますが、相変わらずぐるぐると回っています。



何十周もぐるぐると回っていましたが、ふいに奥の石碑のほうへ歩いていき、なんと【タチション】(^_^;)


仮にも神様の石碑です。

その横で平然と用を足す男性。


それが終わると再びぐるぐる回りだす・・・・



もはや【人】の羞恥を持ち合わせない動物のような行動です。

『憑かれてしまっているのか?』

そんな感じです。


この男性、どうも私がここにいる限り、ここでずっとそうしているように感じたから、いったん頂上から降りてみると、やはり・・・男性も降りてきました。


そして本殿のほうに再び戻ってみると・・・

先ほどのおばあさん・・・

あれからずっと同じ場所で同じところを箒で掃き続けています。

近づいてみても無反応・・・

ただひたすらに同じ場所を掃き続けています。


そして、先ほどの男性は歩きながらおばあさんに挨拶を投げかけて、神社を出ていきました。



それを見送って再び本殿に手を合わせる。

そして問いかける。

「これはいったいどういうことです?豊受の姫様、いらっしゃるならお聞かせください。」

私であって私ではない問いかけ。


しかし返事は無し。

そのかわり、別の気配が現れた。

ここの稲荷の主のようです。

ですが力ない感じで申し訳なさそうな気配を漂わせています。


「どうします?山を出ますか?」

これもたぶん私ではありません。

たぶん姫です。


『いえ、残ります』

そんな思いが伝わってきた。




そして山を下りたところ(山の登り口)にも【高取大明神】があります。



ここの主様はこの古木です。


その主様に手を合わせ

「もはや無理です。」(姫)

そう呟いて山を後にしました。




山頂からの景色はとても美しい。

しかし、山はあちこち倒木があり、山道は崩れてしまっています。

木々の支えなく

手の施しようもなく

【蘇る】ことを待つばかりなのかもしれません。




山に罪はなく

稲荷や蛇霊に罪はなく

人の願いに尽くしてきたはず・・・


その【人】自体がエネルギーを吸い尽くした・・・

そんな【後の祭り】のような寂しさです。





そんな【高取山】へ赴く前に寄った近くの【水天宮】

社務所に静かに座っていた宮司家のお母さんとお話をしました。

とてもお上品な方で、お参りに来た私をとても歓迎してくださいました。

神社の空気も粛々として気品があり、人と神社のエネルギーがみごとに調和して、同じエネルギーを醸し出しています。




全ては【人次第】なのだろうと思います。

「抱き参らせよ・・・」とは

人の心のことだったんだと気づいた次第です。