無我




幼子は

お節介である

自分が楽しかったら

周りにもどんどん勧めて

与えることを喜びとしている



大人になるにつれ

人目を気にして

解かったつもりになって

お節介さが減ってゆき

与える喜びから遠ざかってゆく



何が年月とともに育ったのか?


【我】


我が育った




心理学者は【自我の確立】というが

それが人生を足止めしている原因なるを見ると

はたして【自我の確立】は【成長】と言えるのだろうか?


【自我の確立】は未だ成長の過程にすぎず

【我】を壊して溶かして飽和させて

ようやく『成長した』と言えるのだろうと思う



そして一周廻って

お節介な大人となる

それは

与えることを【喜び】と知ることだろう

かつての【喜び】を思い出すことだろう




神は

お節介である

頼まずとも

人を助ける【示し】を与える

母が子の成長を喜ぶように

与えて喜びと成すばかり

まるで幼子のように

夢中で・・・・


阿吽の呼吸で

打てば響く

それほどお節介に

こちらを気にかけている




人は人 自分は自分

大人のふりして

お節介を忌み嫌い

全てを認め 全てを肯定する【愛】の名のもとに

喜びを裡に押しとどめるは

それは未だ【我】に囚われし

成長過程の道の上




言葉は神である

はじめに【言葉】ありき


思いは言葉となる

言葉は行動となる

思いがあるなら言葉にして伝える

それが【神】を真っ直ぐに押し抱くこと


言葉を噤(つぐ)んだり

言葉を曲げるは

神を捻じ曲げる行為

自らの魂を捻じ曲げる行為



捻じ曲げるは【我】なり



言を成す

誠なり

真っ直ぐなり

【無我】なり




思いがあるなら伝えよ

伝えなければ【無い】のと同じ

人が【神】と共にあるは

【言葉】と共にあるから

しかし

【誠】無ければ

【神】無し

【言葉】なければ

【神】無し


伝えるは

人に云う行い

伝えなければ

【誠】無し