目覚めを阻害する呪縛




かつてCIA(米諜報機関)は自分たちが行う陰謀の数々が、暴かれ指摘されたときに備えて『陰謀論』という言葉を作り出し、自分たちの陰謀を指摘する者を『陰謀論者』という【レッテル】を貼ることによって、攻撃の矛先を鈍らせる『布石』を打っていた。

未だその布石は健在で、どんなに情報収集して証拠を集めても『陰謀論』という言葉を用いることで、陰謀を指摘する声を闇に葬ってきている。



このようなことが世界には非常に多くあります。


『危険が発生する可能性のあるところに、未だ危険が発生しないうちに、危険の因子を取り除く』


これがインテリジェンス(諜報)やリスクマネジメントの常識でもあります。

中国の兵法書『孫子』にもこのようなことは書かれています。

囲碁をする日本人にも当たり前のことでしょう。





スピリチュアルの世界で目につくのが、明らかに『目覚め』を阻害するための、こうした数々の【布石】として散りばめられた言葉たち。

『陰謀論』のような単純な『単語』ではないために気付きにくいが、ある特定の『単語』の印象操作をしているのがよくわかります。

たとえば『無条件の愛』という言葉

あちこちで語られていますが、この『無条件の愛』という言葉を、なぜかわざわざ『定義づけ』しています。

『あなたたちが考えている【愛】は条件付きの【愛】ですよ』と・・・

事細かに指摘しながらわざわざ定義づけから始まっている。

しかし、その【定義づけ】の道のりに『呪縛』が仕掛けられているわけです。


それが受け入れられるのは、人々の中の先入観があるからです。

  1. チャネラーが受けた啓示
  2. 高尚な存在からの啓示

この『たった二つ』の先入観が、その言葉を『鵜呑み』にしてしまわせています。



そもそも【愛】は【愛】です。

それを【欲求】と混同させる誤解を起こさせながら【無条件の愛】へと誘導する。

しかし、誘導された【無条件の愛】とは、実は【愛】の反対側にある【無関心】の方向への誘導だったりしています。

【自己愛】を語りながら他者への【無関心】を【無条件の愛】とすり替えを行っていたり、酷いものになると【我欲の探求】へと誘うほどのものもあるでしょう。



語られる言葉の中で少しずつ【縛り】を入れていく手法。

このようなことを【高尚な存在】の方たちがするわけがありません。


私が知る限り神々は、人の口を乗っ取ってしゃべったりはしません。

【気付き】

それが神々が人に与える導きです。

『人に手柄を立てさせなければ意味がない』

だから人は努力し成長します。

それが神々の考え方だと思っています。




『呪い』とは口に兄と書きます。

小さな弟や妹が兄の言葉に従って追従していく様です。

幼い子供なら兄に依存しなければ、知らない道を進めません。

しかし、いつまでも子供でいられるわけではありません。

いつかは『自立』して自分で考え選択して行動しなければならない時が来ます。


他者であったり何かであったりに『依存』している限り、言葉の『呪縛』から逃れることは出来ません。

縛られていたいのなら別ですが・・・



スピリチュアルの世界で『答えを外に求めず自分の内側に求める』という言葉があります。

これは『自立せよ』ということに他なりません。


『誰それが言ったから・・・』とか、『こんな人が言っていたのだから・・・』とか。

たとえそれが釈迦やイエスの言葉であっても・・・です。

当然このブログの言葉もです。


『疑うのは悪』

この観念も【縛り】です。




様々な言葉の縛りを解いて、自分の中でしっかりと答えを見出すこと。

それが『自立』するということでしょう。




昨今、目覚めた人がどんどん増えていると言います。

たぶんそうなのだろうと思います。

しかし、その一方で【布石】によって防がれている人たちもたくさんいると思います。


目覚める人を防ぐために一番いい方法・・・

それは【目覚めた夢】を見せておくことです。

数々の言葉で誘導し、【目覚めの夢】へと導くことが、【目覚める者】に対する【布石】となります。




自己信頼


自分の内側から出た答えを信頼するためには、盤石の『自己信頼』が必要です。

たとえ釈迦やイエスが言った言葉として伝わったものでも、自分の内側から【違う】という導きが沸々と湧き上がってくるならそちらを信頼する。

それにはやはり盤石な【自己信頼】が必要です。


【自己信頼】が出来ないうちは、どうしても他者の言動に左右されてしまいます。

上記のように高尚な存在からのチャネリングメッセージというだけで、心が【受け入れ態勢】を作ってしまっては【自己信頼】には至りません。




疑うことは悪ではありません。

より【精査】して【信頼】へと至る道のりです。


かつてニーチェは『ツアラトストラかく語りき】の中で

『我を疑え、さすればやがて我に回帰するであろう』と語っています。

自分が真実であることの【信頼】の言葉と言えます。


自分を疑い自分に回帰する・・・

それが【自己信頼】への道のりなのだと思います。