和合の道






こうやって記事を書く時に紡ぎ出している言葉が

自分の言葉なのか『導き』の言葉なのか

わからなくなってきている。


わかるのは言葉のクセ


それで判断がつくのだが

自分で考えて言葉を紡いでいるようでも

自分の言葉であって自分の言葉ではない

導きであって導きでもない


それは『導く』ことが不要な状態でもある



導くまでもなく『想い』が一体となる


それを『神人和合』の状態と言うのだろう。




人と神が和合するということは

人という『器』に神が入ること

それは人としての自分が無くなることでもある・・・

そう思っていた時もあったが


実際は

生まれたときから既に共に居る

傍にいて常に語りかけている

共に歩み共に考え共に行動する

ずっとそうしてきた兄弟姉妹のようなもの

だから和合しても

それほど変わらない


変わらないというのは

『真の自分』と変わらないということ


人の目に映すために作りこんできた自分の姿

それはすっかり変わってしまうだろう

しかし、真の自分は変わらない

常に共にあった存在と変わらない

そんな自分である。



『神人和合』の道

それは『本来の自分』に還ること

自分だけが知っている自分

そこへ還るだけ


そんな自分と常に共にある

導き手であり神であり仏であり

そして片割れの自分



神と呼ばれる大きな大きな片割れの自分

それを入れる器を創るための自分

強く大きく美しい器を創るほどに

和合する力は増す


そんな器を皆創っている

誰一人特別な者はない

生まれた時から共に在る神

それが自分の片割れ

器の中で和合し

共に生きる



真の自分に還る

自分だけが知っている当たり前の自分の姿

その姿のまま生きる




『神人和合』の道

それは産道(参道)

神の宮が子宮となり

人の器に神を生む


心の鏡がキレイに磨かれ曇りなく歪みなく

天からの光を真っ直ぐ天に還すとき

光の柱が和合する

『神人和合』

生き神の誕生となる



神を生む宮

それは大いなる海原

海(産み)の原(腹)にある【竜宮城】

そこで龍たちが天地を結ぶ

神と人を繋ぐ糸となり

やがて和合した神と人を結ぶ帯となる

【竜宮城】を出たとき

人はすでに神である



自分に還れ

自分ではないもの

自分には似つかわしくないもの

自分には不要なもの

掃除して器を拡げよ

その器が真の自分でいっぱいになったとき

神も共に在る