日月神事




以前から「日月神示」という書物があることは知っていましたが、あまりにも膨大な資料に恐れをなして、読むことはありませんでした。

ですが先日、YouTubeで全文を朗読してくださっている方がいらっしゃって、「これなら」ということで初めて「日月神示」を聞き読みしました。


正直驚きました。

何に驚いたかと言いますと、自分の身に起きている『個人的』なことが理解できたからです。

たぶん前例が無いようなことが自分の身に起きていて、その意味も理由も何もわからないまま、とにかく自分で一つ一つ整合性を積み重ねて『認識』を深めていくしかありませんでした。

誰も答えは持っていないため、誰にも聞けず自分の中で答えを見つけていくしかありません。


試行錯誤しながらも自分が『何者』であるのか?

自分の力が『どのように』使えるのか?

それを『どのように』カタチにしていくのか?


毎日が格闘でした。



そうしてようやくカタチに現れ始めたところで、偶然のような『導き』で「日月神示」にたどり着きました。

そして


『おお!そうか!!』

『あぁ、なるほど』

『やっぱりそうか・・・』

『はい、わかりました』


まるで『答えはこうだよ』と教えられている感じです。



そして更に「日月神示」には続編があります。

岡本天明さんではなく、2012年に神事を降ろされた別の方がおられて、その方がネットで全文を掲載されていました。

『続・日月神事 赤玉白玉』というものです。


これを読んで更に驚きました。

更なる答えがここに書かれていました。

しかも、ここ最近の出来事にまでちゃんと答えてくれています。



どれほど『ほっ』としたことか・・・・



『姫』の御霊が身内に入り、『龍』が身の回りに常にいて、それを使いこなす・・・

その『答え』を持っている人などまずいないでしょう。


でも、それが『居た』


人ではなく『神示』としてちゃんと人を通して教えてくれたわけです。

これは『神人和合』があったればこそ『導き』となったわけです。



九分九厘の努力に対して最後の一厘を導いてくれたんですね。

感謝のしようがありません。





赤玉・白玉


ここ最近、なぜか白龍と金龍が仲良く一緒にいます。

時折そろってジッ・・・とこちらを見ていたりします(^_^;)

『そろって何をしているんだ?』

理由がよくわからなかった。


その明確な答えが『続・日月神示』でよくわかりました。

『赤玉(金龍)白玉(白龍)』だそうです。




私のような『特異』な状況となる人間が、まるで『当然のこと』のように書かれています。

あらかじめ『決まっていたこと』

そういうことなのでしょう。




でも、自分の存在が『決まっていたこと』として示されていて、その『整合性』がとれているということは、それ以外のことも・・・・ということになるのでしょう。


全ての中の一要素として自分が存在している


ということです。





未来


『神示』で示された未来

そこには様々な未来が見て取れます。


そのためにも自分の存在があり、そして『示された』この先の道もあります。

それは、今まで自分が孤軍奮闘して生み出してきた『道』の延長線上に確かにあります。

ということは、孤軍奮闘の中にも明らかに『導き』があったわけです。


『神とはこんなに有り難いことかと涙でるぞ。』

と『神示』の中で語るこの御方の言葉が身に沁みます(笑)




創造への導き


『創造』は『導き』により生まれます。

『神人和合』によって創られるものもあれば、『霊人和合』によってもたらされるものもあります。

それは、自分の【軸】となるものがどこにあるか?

魂の中心に軸があるなら『神人和合』となるでしょう。

ですが、その【軸】がズレていれば、そのズレに応じた導きが生まれ創造が生まれます。

『霊』や『悪神』が入り込む余地となるわけです。



しかし、それは自分自身が決めた【軸】相応になることです。

恐れや我欲を【軸】として魂からズレてしまえば、【神】が入る余地はありません。

そうなると、このような『神示』もしっかりと受け取れないことでしょう。



私自身、この『神示』を半年前、一年前に読んでいたら、今とは全く違った受け取りをしていたと思います。

『魂の磨かれ方次第』で『神示』の理解が違うというこの日月の神様が言うことがよくわかります。

だからここへ導かれたのが『今』なんだということも。




魂を磨く


魂を磨くということは、ズレた【軸】を治すこと。

【軸】を治すには【軸】をずらしている様々な要因を祓うことです。


不安や恐れ、我欲や様々な囚われに引っ張られて【軸】は動かされ(ズレ)てしまいます。

それらを一つ一つ取り除いていくことが【御魂磨き】となります。


在るものを認め、受け入れ、そして囚われを手放す。

囚われは『釘付けにされた視線』でもあります。

そればかりを見てしまう・・・考えてしまう・・・


そんな自分に気付くこと・・・

気付いて手を放して(視線を放して)【軸】をズラしてしまっている【力】を放す。

一つ一つ力を放していって、【軸】を本来あるべき場所へと戻す。

そんな作業が【御魂磨き】でしょう。


『恐ろしくて絶対離せない』なんていうこともあるでしょう。

だから魂が磨かれるんですね。




「神示」の中で日月の神様は、たくさんの「磨かれた魂達」を見て喜んでいました。

それは【すでにある未来】です。

そしてそれは【道しるべ】でもあります。


その【未来】も【道】も

【ここ】にあります。