次元の層に意識が凝り固まると、平面的な思考しか出来なくなる。
パラレルワールドのように『同じ三次元の平行世界』に意識は向くが、四次元、五次元、六次元と縦の階層になってくると、途端に想像力が乏しくなる。
生きとし生けるものが存在するのは三次元だけ
そう思っているのだろうか?
また、『存在』を知り、認め、交流は出来ても、別次元の『生の営み』までは想像できない。
想像し得るのは『三次元が中心』の想像です。
別次元の神霊たちに助けは求めるが、こちらから助けようという人がどれだけいるだろうか?
天使が助けてくれる
妖精が導いてくれる
龍が運を開いてくれる
自分のためだけに利用するごとき『理解』でしかないように思います。
次元の重なりの中で『共に生きる』存在たち
そんなものたちと『共に生きる』という意識が『八百万の神々』と生きた太古の日本人であったはずである。
人の想いを敏感に察知して、ついついおせっかいにも人のために動いてしまうという人もいます。
そんな優しく繊細な人に対して、自分のお願いばかりして、自分はちっともその人のために何もしない。
そんなふうに神社に行き、お寺に行き、パワースポットに行き、優しいものたちにお願いばかりしているのではないですか?
『お願いがあるなら言えばいい』
『気付かないから仕方がない』
そんな声が聞こえてきそうです。
優しく繊細なそのものたちは、無理にお願いなどしてきません。
それは『優しい』から。
優しく繊細な人がお願いして来ないのと同じことです。
『気付いてほしい』
そういう想いがあるから願うのでしょう。
それと同じで
『気付いてあげたい』
と思えたなら、もっと豊かになるのです。
『願いを聞いてほしい』
と思ったなら
『願いを聞いてあげたい』
と同時に思えたなら、ますます豊かになるのです。
あちらが助けてくれるのは
『共に生きているから』
に他なりません。
ならば、こちらから助けることも当然出来るでしょう。
それは『共に生きているから』です。
『生命』とはなんなのか?
自分の願いを叶えてくれる別次元の存在は
『生命』
ではないのでしょうか?
意思があり、思いがあり、感情があり、動きがある。
三次元の肉体を持たないそれらは『生命』ではないのでしょうか?
神も仏も天使も悪魔も要請も龍も幽霊も全て、大元の『生命のゆらぎ』の中に『生きて』います。
その『ゆらぎ』の波長の違いが階層となり分かれているだけで、同じ『ゆらぎの重なり』の中で生きているのです。
そして『生きる』とは『営み』があります。
我々とは全く違った営みであるでしょう。
営みは違えど重なっている以上、お互いに影響し合うのは必然です。
考えてみてください。
もし、世界中に恨みのこもった『幽霊』が溢れかえって充満したらどんな感じでしょう?
どこへ行っても憎しみに満ちた霊が、自分の怨念を晴らすために自分を利用しようと、常に手ぐすね引いて待っている・・・
あわよくば取り憑いて乗っ取ってやろうと・・・
憂さ晴らしのために苦しめてやろうと・・・
どこへ行っても淀んだ重たい空気に包まれている・・・
怨念の強い霊は別次元であるはずの三次元にも影響してきますね。
それと同じ。
念の強い思考は別次元へも当然影響します。
それを利用したのが『引き寄せの法則』というものでしょう。
多くの人は何を『引き寄せ』ようとしているのでしょう?
そんな強い思考の『念』は、他の次元へどのように影響しているのでしょう?
みんな『望む未来』を想像しているはずです。
ただ、その『未来』は他の人々、そして世界、さらには次元の重なりに生きる全てのものたちの『大切な何か』を壊していないだろうか?
そんな想像もしてほしいと思います。
潜在意識にまで定着した『想い』というのは、思考で更に凝縮されて強いエネルギーとなります。
人の念を察知しやすい体質なので、それはよくわかります。
その『想い』が優しい『祈り』ならば、次元の重なりに生きる全てのものが幸せを感じることでしょう。
ですが、我のエゴで凝り固まった『想い』ならば、念が飛び交う次元に生きるもの達は相当辛いはずです。
日々を楽しく喜びであふれさせる。
それがなぜ大切なのか・・・
喜びや楽しさの想いは『別の次元の世界』にとっても『心地よい』エネルギーとなるからです。
我々の次元の問題だけではありませんね。
そして『感謝』
これが最も生命に素晴らしいエネルギーを与える『想い』でしょう。
この世が生きづらく辛い想いばかりが溢れていたら、別の次元にも同じ波長が溢れます。
そして今
そんな波長が溢れかえっていることでしょう。
恐れ
怒り
満たされぬ飢えや渇き
悲しみ
絶望
この思いが増えれば増えるほど、他の次元の世界をも引きずりおろすこととなります。
他の次元では『亡霊』が溢れかえっている事でしょう。
『初めに言葉あり・・・』
『言葉に気を付けなさい。それはやがて・・・』
言葉を変えること
想いが無くとも言葉を変えてみる
そうすることで『言霊』が動き出し、波長が変わり曇りが晴れて思いが変化してきます。
そして言葉を変え続けると、やがてそれは『運命』へと転換していきます。
ここでもう一度繰り返します。
次元の重なりを『共に生きる』ものたちがいること。
霊であり妖精であり物の怪であり天使であり悪魔であり神々であり・・・
次元は違えど『同じゆらぎ』の重なりの中で生きるものたち。
『共に生きている』ということを忘れないでほしいと思います。
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《追記》
この夏
六甲山の龍たちが一生懸命山の浄化をしていました。
そんな中
身体が黒ずんでしまうほど一生懸命に努めている龍たちもいます。
『山の守り神』という営みを全うしているためです。
人が汚してしまったものを
次元の重なりに生きる他の生命が、当然自らの生命や営みのためにしています。
その恩恵を受けて我々は生きています。
そのことを知ってほしいと思います。
【龍】との結びは
横の世界の『共生』だけではなく
縦の世界の『共生』も大切だからです
目に見えない世界がある
それは
目に見えない『生命』があるということです
そんなすべての生命と『共に生きている』
それを知ってほしいと思います。
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