明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
2021年こそは穏やかに過ごしたいと願いつつ・・・
やはり無理である(-_-;)
2020年の混乱はあくまでも『序章』である。
本編はこれから・・・という時にゆっくりさせてくれるはずもなく、昨年末の星の移動と同時に激しい導きが始まった。
その少し前から『御札を創れ』という物騒な導きがあり、夢にまで導きが
現れる始末である。
さて、何が起こるのやら・・・・・・・
風の時代に突入し、嘘が暴かれてきたと騒いでいるが、世界を動かす者たちは星の動きなどとうに見越している。
それを何千年も行ってきた者たちである。
星の動きに合わせて既に何手も先を進み、何段も上を進んでいるのである。
占い程度の星読みだけでは世界は読み解けない。
明るい未来を語らねば商売あがったりとなるのでやむを得ないが、そんな中でもちゃんと語るものはある。
よくよく自分の心を問いながら情報に接してほしいと思う。
力というものを知れば知るほど、彼らの力のすさまじさを知ることになる。
73代続いた『武内宿祢』の神号を返上して『手放した』武内宿祢さんが亡くなったときにそれを思い知った。
あの方は死の手前、明らかに『呪われて』いたと思われる。
何ものかと戦いながら武内宿祢さんが残してくれたものを大切にしたいと思う。
そんなわけで『御札』の導きがあるのかと考える。
『邪気』を避ける御札に始まり、今のところ『防御』のための御札の導きばかりである。
それも『現界』だけにとどまらず、『霊界』『神界』の守護まで導きが来ているのを見ると、完全に『三界共和』しているのがわかる。
守護霊や守護神すら右往左往する混迷の時が始まているのである。
霊界も神界も『今この時』は三界同時に『混沌』なのである。
そんな『御札』のおかげで神棚の『榊』がまったく枯れなくなった。
いままで2週間ともたなかったのが嘘のようである。
『いろんなもの』が飛んできていたから仕方ないのだが、それらの影響が無くなったのは本当に驚きである。
そんな『三界』を知り『星』を知り『人』を知るものたちが、数千年の時の間で得た力を使い、『今この時』の『星の動き』を利用しているのである。
多くの人が『嘘が暴かれた』と言っているこの現状すら『予定路線』である。
日本は三千年近い間、これらの『力』の中にある。
その中心にあるのが『天皇家』
陰陽道を司る『総本家』である。
かつて豊臣秀吉は京の都から『陰陽道』を排除した。
『戦国時代』という乱世に繋がる平安からの呪いの数々が、いかに危険であるかを知ってのことである。
また、豊臣秀吉にはこんな逸話がある。
本能寺の変を知った秀吉が高松を後にして姫路へ戻り、いざ京都へ向かおうとする日を僧侶が「その日は凶日で帰ってこれなくなる」と出陣を止めたが、秀吉は「それは吉日である」として出陣したというものである。
これを見て『秀吉は占いを信じない』と観るのは間違いで、その実『身近に占術家を置いていた』ということである。
星のエネルギーはいわば『運命という大河の流れ』である。
その『大河の流れ』を渡るも沈むも己の技量次第。
リスクを取らなければチャンスは逃げることを知っている者であれば、吉凶を決めるはおのれ次第ということをよくわかっている。
『大荒れの流れ』でしか得られない獲物もあるのである。
だから秀吉は進んだのであろうと思う。
そして今、星々が促す『運命の大河』は『大荒れ』を告げている。
何千年、何万年という大きな螺旋の渦の中での大変化である。
星々を知る者、三界を知る者が『何もしない』わけはないのである。
しかし
陰に潜んでいてなかなか見つけられない。
だから『導き』が必要となる。
そんな導きはけっして『あらかじめこうなる』とは教えない。
『今動け』という時に『導き』は来る。
『今』と言われて『今』即座にそれが出来るか?
それが分かれ道となる。
恐らく・・・
ほとんどの人が『手放した』と思っていて、その実『手放せていない』ものがたくさんある。
『手放し』は早ければ早いほどいい。
「どうせ手放すなら今でも後でも同じ」と思っていたら大間違いである。
溺れたときに慌てて手放して掴めるものは『ただの藁』しかない。
そんな『藁をも掴む』状態にしたいのだろうということは見える。
だから再三『掃除せよ』と言う。
掃除して掃除して、大津波が来ても微動だにしない『柱』を立てるまで・・・
その厳しさが『神々の愛』である。
黄泉の月
あえて見ようとしないもの
知っていながら知らないふりをしているもの
人は『辛い真実』よりも『楽な嘘』に染まりたがる
それを許さぬ『黄泉の月』
素戔嗚大神の草薙の剣が閃く
掃除して御魂を磨いたつもりでも
黄泉の月灯りは心の奥底まで照らし
握ったその手を曝すだろう
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