世界は『仮想現実』として、自らバーチャルな世界へと向かう人々は、おそらく『仮想現実的世界』を次元上昇と何故か勘違いしているのであろう。
それはたぶん「スピリチュアル」という世界に仕込まれた『ミスリード』でもある。
『仮想現実』とは他ならぬ『二次元世界』のことである。
言い方をスピリチュアル的に変えるなら『次元上昇した二次元』とでも言うのが合っているだろう。
そう・・・
あくまでも『二次元』なのである。
思考は単純化し、思考は悪と為し、感情と感覚に身をゆだねてゆく。
二次元と三次元の狭間のような『バーチャル』な世界にいるようになり、三次元の感覚からも遠のいてゆく。
空想の世界こそ『現実』と為し、身体は三次元にありながらも思考は『二次元仮想現実』の中で彷徨う。
それゆえ思考は『単調』となり、『感情』と強く結びついた思考は『幼児退行』しているかの如くである。
現実は『三次元』に『四次元』が重なり、さらに『五次元』の影響が出始めているこの状況は、身体の五感とその先にある霊体の感覚を、バランスよく掴みながら『現実』の中に落とし込む作業を『当たり前』のものとしていくような『高度』な時代に入ってきている。
論理的思考と感覚的受容を『和合』させながら、『現実』を生きるのが『次元上昇』した世界の在り方であろう。
今までは『感覚』というものは『明確』なものではないとして排除していた時代から、『感覚』も重要視し、その『感覚』が受信している『現実』を『当たり前の現実』としてゆくのが『次元上昇』した世界である。
『感覚』を無視せず、さりとて『論理』を捨てず・・・である。
三次元に折り重なるようにして存在する四次元、五次元その他の世界を『当たり前』のこととしながら『現実』を生きるのである。
それは、『身体の現実』と『霊としての現実』と『魂としての現実』を同時に我が身で現わすということである。
それは同時に他者の『身体』と『霊』と『魂』を同時に尊びながら生きることでもある。
かつて出口王仁三郎氏が言った
『目で聞き耳で見て 鼻で味わい口で嗅がねば神はわからぬ』
という言葉に尽きる。
それは『感覚』が受け取る『現実』と『思考』が受け取る『現実』をきっちりと調和させなければならない。
別の言い方をするならば『身体』の現実と『霊』の現実と『魂』の現実を『調和』させるということでもある。
人は『超現実』である『スピリチュアル』な部分ばかりを追いかけていると、気付けば『仮想現実』という『二次元世界』へと落ち込んでしまう。
『仮想現実』はあくまでも『二次元』が発展したものである。
それを『常』とするのであれば、次元下降するしかないのである。
世界は数年前から『仮想現実』に呑み込まれ始めている。
そして、『仮想現実』と実際の『現実』の区別がつきにくくなりつつある人が増え始めている。
『日の出』と共にそれらが『露わ』となり始めた。
『仮想現実』に落ち込んだ者は、思考も『仮想現実』らしく『何でもあり』の単純思考が現れてくる。
そしてそれがリアルな『現実』から乖離していることさえ気づかなくなってくる。
恐らくこれが『人と獣の分かれ道』なのであろう。
『新しい地球へ行く』などと宣い、現実の地球を蔑ろにするものを神々がどうして祝福などしようか?
目の前の『現実』を捨てたとき、それは生まれてきた『生の放棄』となろう。
今が峠
下り始めれば止まらない
心改める最後の時かもしれない。
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