神人の道





出雲道 大和魂 合気道

同じ理にして 違う現れ



十(カミ)が動きて卍(ホトケ)なり

その理が判らず争いて

神に蓋して仏を穢す

仏魔入りて広がりて

上から下まで仏魔の闇世


仏魔とは『恐れ』なり

恐れを以て仏を語れば

仏と共に恐れも広がる

地獄と共に仏を語れば

仏と共に地獄絵図となる


本来地獄は無きものを

語り広げて地獄産み成す



神を握りしめ仏握りしめ

手放せぬ心 神在らじ

神が無ければ仏も在らじ


神は古(いにしえ)に在るのではない

『今今』の中に常に在るが神

過去も未来を握りしめれば

神を失い仏も失う



神も仏も失ったものが

虚ろを握って争いて

どちらが勝っても同じこと

神も仏も無き世となりけり



今今の中に神在るが『出雲道』

その『神』と共に在るが『大和魂』

過去にも未来にも囚われなく進むが『合気道』



舵を手放すものだけが

鳴門の渦を渡りゆく

『晴れて良し 曇りても良し 富士の山

もとの姿は 変わらざりけり』



『穢れなき 晴れた心に 神宿る

握る心が 穢れなりけり』


出雲の道に還るとき

富士は晴れたり日本晴れ




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国譲りであっさりと事代主は手放した

彼が国を握っていれば争い起こり地獄絵図となっていただろう

国を手放したところで『何も変わらない』

事代主が手放したなら出雲の民も手放しただろう


譲られたものは心に『恐れ』を抱えたままであり

自らの『恐れ』によって『闇』を広げていった

古の神を恐れ『祟り』されぬようにと務め

仏心あるものを恐れ仏からも離れていった


やがて仏は恐れを駆逐すするための道具とされ

仏を広めれば広めるほどに『恐れ』も共に広がっていった

恐れに囚われ『神道』は『呪詛』の道具となり

『恐れ』から身を護るため

あちこちに『注連縄』が張られ

あちこちに陰陽道が『縄張り』された


我が身大事と列島すべてに『縄張り』を張り巡らし

列島は『カゴメ』のように縄で張られ

身動きとれぬほど縛られて

気付けば『大蛇』に呑まれている


それでも尚国譲られしものは

恐れを解けぬまま『我(われ)』を握りしめ

未だ身内で争う愚かさ

ゆえに民は日本を『手放せ』



そのために『今今』の中に神在るを知り

『今今』の中で神と共に在り

神と結んで神人となれ

されば何も握りしめるものなく

ゆえに恐れも無し

それが人の『岩戸開き』なり



若王山 無動寺の『若一王子神社』

『天照皇大神』の御魂鎮まる場所。


『握る』心が『岩戸』なり『注連縄』なり・・・