超人的で明晰な頭脳の持ち主で聖人君子、大化の改新という一大事業の功労者という位置づけが生まれていったのは、偶然ではなく『日本書紀』という『刷り込み』の常套手段を用いて行われたのだろう。
そうして『聖徳太子』という超人的な聖人君子像を作り上げることで、大化の改新及びその時期に創作された『古事記』『日本書紀』をベースに『新国家』の基礎を作り上げていったのかもしれない。
そしてそれは概ね成功した。
策謀、暗殺、親殺し、兄弟殺し、皆殺しの歴史を上塗りする如く『神』をまるで紙のようにして虚飾に利用し、『神』から離れた『ヤマト』を憂い、『仏』に頼ったのかもしれない。
しかし、その『仏』も『神』と同じく虚飾になり、求めあがいても答えは得られないまま現代まで来てしまったのだろう。
頼りにした『仏』に突き付けられたのは、結局のところ『業(カルマ)』という現実なのである。
聖徳太子と言えば『仏教』を国家の基盤とした人物である。
しかし、それは同時に「ヤマトの神」を『封じた』人物でもある。
私たちは生まれる遥か前から仏教が浸透しているので気付かないかもしれないが、これは『明治維新』において『西洋文化』を取り入れて『文明開化』と宣ったのと同じことである。
明治維新前にはまるで『文化』が無かったような物言いである。
そしてそれは『大化の改新』にしても全く同じことなのである。
当時、聖徳太子等が中国、朝鮮で広まっていた『仏教』を国家の基盤に据えようとしたのに対し、「ヤマト古来の神があるのに必要ない」として徹底的に反対したのが物部守屋。
『饒速日命』が天から降臨したときに引き連れていた三十二柱の一柱『天津麻羅(あまつまら)』という『鉄』を司る一族から物部氏へと連綿と繋がる。
そして『物部守屋』は当時の『大将軍』であり『武』を司る『武器』を製造する一族でもある。
武士を「もののふ」と言うのはこの『物部(もののべ)』から来ていると言われる。
その『物部一族』を亡き者にして『神国』から『仏教国』へと転換したのが『聖徳太子』であり『大化の改新』という歴史である。
そしてこれが『五度目の岩戸閉め』である。
・・・・・・・
日月神示 碧玉之巻 第十帖
岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ・・・
次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ 大神はまだ岩戸の中にましますのぞ。
ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう・・・
次の岩戸閉めは素盞鳴命にすべての罪を着せてネの国に追いやった時であるぞ・・・
神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働はたらきをなされたからであるぞ。
神の世から人の世への移り変わりの事柄を、
一応、岩戸に隠して神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、
大きな岩戸閉めの一つであるぞ・・・
仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、 仏教と共に仏魔渡って来て完全に岩戸が閉められて、 クラヤミの世となったのであるぞ。
その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ。
これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。
・・・・・・・
しかし聖徳太子が頼りにした仏教も、平安時代にはすでに『呪い』の道具と化し、結局のところ「策謀、暗殺、親殺し、兄弟殺し、皆殺しの歴史」を繰り返す『業(カルマ)』から抜け出せない。
そんな『業』を抱えたままその後も歴史を刻みながら現代まで連綿と続いているのである。
人生も歴史も『螺旋階段』のごときもの。
取り組み解消せねばいつまでも上がれず同じところをグルグルと回り続ける。
その『螺旋の渦』は時と共に速さを増して、今や『鳴門の渦』の真ん中にまで来ている。
その『螺旋の巡り』である『業』を解消せねば『渦』に呑まれゆくだけである。
そんな『業』を解消せずに『次元上昇』と『我良し』の考えでは、結局のところ『業の渦』の中から抜け出せず、『上昇』と言いながらも『逆立ち』して渦の底へと下降してゆくのである。
確と現実を見て身よ
改革と宣いながら同じことをしているではないか
ヤマトを刻んで外国に染めて行く者たち
幽界(がいこく)御魂は未だ健在
神国を八つ裂きににして呑み込む大蛇と『最後の戦』である
日月神示 地つ巻ー第六帖
神の国八つ裂ざきと申してあること いよいよ近づいたぞ。
八つの国一つになって神の国に攻めて来るぞ。
目覚めたらその日の生命いのちお預かりしたのだぞ、 神の肉体、神の生命大切せよ。
神の国は神の力でないと治まったことないぞ、 神第一ぞ、 いつまでも仏や基(キリスト)や色々なものにこだわっているのぞ。
出雲の神様 大切に有り難くお祀りせよ、 尊い神様ぞ。
天つ神、国つ神、みなの神々様に御礼申せよ、
まつろいて下されよ、
結構な恐い世となって来たぞ、
上下グレンぞ。
アメリカ、イギリス、フランス、中国、朝鮮、ロシア、イスラエル、そして日本か・・・・
日本と神国はもはや『別物』である。
神国の『神』を岩戸に閉じ込めて出来た国が『日本』という『皮(側)』である。
ゆえに『日の丸』
⦿(神)の〇(がわ)だけでゝ(誠)が無い『日の丸』なのである。
岩戸閉め以来、神国に入り込んで呑み込もうとしたが一向に呑み込めない。
それどころか逆にひっくり返されてしまう。
ゆえに長い時間をかけてじわじわと締め付けて、弱ったところを最後に八つ裂きにして呑み込もうとしている。
それが『八岐大蛇』
・・・・・・・
話は変わるが・・・
実は先日よりやたらと『法道仙人』の影がちらつき、何故だろうと考え法道仙人ゆかりのお寺を調べていたのだが・・・・どうも違う。
何を伝えたいのだろうと再び「導き」に意を傾けていたら、一つの寺が浮かび上がってきた。
若王山 無動寺
お寺の由緒が
『当寺は推古天皇の時代、聖徳太子が物部大臣守屋を 討たんとして、鞍作鳥(鳥仏師)に命じ、本尊大日如来及び 諸尊を刻ましめて戦勝をご祈願されたところ、忽ち大軍を 征破することができたので、七堂伽藍を建立して福寺 (普救寺)と名付けられたのに始まります。・・・・・・』
「なるほど・・・これか。」
しかし・・・
灯台下暗しとはよく言ったもので・・・
ここは仕事場の目と鼻の先にある(笑)
まあ、今まで気付かなかったことには当然意味がある。
もっと前に気付いていたら、きっと対処が違っていただろう。
で、今回何をするのかというと・・・
今までにも何度も行っている『陰陽射』である。
ほんの先日、近くの『東下西七社神社』というところに立ち寄った。
小さな『村社』ではあるが、元々は『丹生山』の頂上に祀られていた『山王権現』を『神功皇后』の時にこちらに移設されたもので、現在、丹生山には『丹生山神社(祭神:丹生都比売)』が置かれている。
『山王権現』は『大国主』である。
そして更にこの『東下西七社神社』には私的ないわくがある。
それは『龍神会【奥宮】』DVD内で語っているのでここでは省きます。
その『東下西七社神社』から『六條八幡宮』を通り、『無動寺』まで一直線に連なっている。
『東下西七社神社』は毎年『流鏑馬(やぶさめ)』が行われる神社で、さらに『六條八幡神社』も同様である。
『陰陽射』にうってつけなのである。
『六條八幡宮』へ行き『無動寺』へ向かえ(射抜け)・・・ということだ。
そして『式神龍』も・・・ということだろう。
ここしばらくの導きがそう伝えている。
さて、ここで昨年の『貸し』をチャラにしていただこうと思う。
『六條八幡宮』へ『宇佐八幡』のお札を納めさせていただき、八幡様のお力をお借りしてから行きます。
日月神示 五葉之巻ー第四帖
お尻を出したらお尻をキレイに拭いてやれよ、 怒ってはならん。
お尻を出されるには、出されるだけの何かの原因が己の中にあるのであるぞ。
利子は後からでよいと申すが先に払うこともあるぞ、 先にお尻を拭ふいてやらねばならんこともあるぞ。
世が迫って岩戸が開あいたのであるから、 先にお尻を拭ふくことも出てくるぞ。
思わぬお尻持ち込まれることもあるなれど、 怒ってはならん、 気持ちよく拭ふいてやれよ。
やがては神がそなたのお尻を拭ふいて下さるぞよ。
先に『お尻』を拭いておいて良かった。
確かに『思わぬお尻を持ち込まれた』とつくづく思う。
『柱』とは『八岐大蛇』から出てきた『都牟刈の大刀(つむがりのたち)』
八つ裂きにされ呑まれた『八剣』を一つにして御魂に立てた『誠の剣』
『八岐大蛇』に呑まれようと最後に残るは『剣の柱』
それこそが『ゝ』である
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