大和魂の柱




大和の民の『柱』となるのは天皇家である。

それは歪めようもない確かなことである。

では何故『柱』なのか?


二千数百年続いたからか?

それもあるだろう。

しかし、それ以前に大和の国はもっともっと長い間続いている。

天地創生、神世の時代から延々とその活動が明確に『歴史』として記されているのである。

たかだか二千数百年の話ではない。


恐らく人類が始まって以来、続いているこの歴史は、日本という島国だけのものではなく、地球規模の『歴史』なのである。

そんなものが語り継がれているのが『大和』である。


そこには、常に『神』を『柱』に据えた営みがあり、それを気の遠くなるような時の流れの中で連綿と繋いで、それが『今ここ』に至っても連綿と続いているという『証』が、天皇家を中心とした『大和』なのである。


では、どうしてそのようなことが『成し得て』いるのか?


そこに『大和魂』があり、『大和の民』の『DNA』がある。

その『大和魂』という『柱』の『根』の部分。

それこそが『国譲り』である。


おそらく、そんなことが出来るのは『大和の民』のDNAしか成し得ない。

世界中どこを見てもそんなことを思い描ける人民はいないだろう。


その『国譲り』の精神を根っこに持ち合わせた『大和の民』だからこそ、国譲り後も天皇家が二千数百年の長い間『柱』としてあり得るのである。


それが『大和魂の真の柱』なのである。




そんな『真柱』たる『国譲り』そのものが歪められている。

だから柱は歪み、その歪みが世の歪みとなり、ここまで歪みに歪んでしまった。



『国譲り』の精神の根底にあるもの・・・

それは『天地は神からの預かり物』という確固たる『柱』がある。

だから『国譲り』は『国を神に【返上】する』だけのこと。

そうして『国譲り』は行われたはずである。


しかし

今に伝わる物語では『脅して譲らせた』となっている。

これが・・・

柱を歪め、岩戸を閉めた。


そして、閉じた岩戸から『騙して』神を引き出した。




わかるであろうか?


この『脅した』『騙した』ということこそ

柱を歪め岩戸を閉めた『罪穢れ』である。


このゆえに『大和魂』に『穢れ』が住み付き、そこからどんどん『穢れ』が広がり、常に『祓い清め』せねばならぬ世となりゆくのである。



闘わず争わず・・・

力及ばぬなら神に全てを返す。

それが『大和魂の柱』



『国譲り』

それが出来るのならば・・・・・・

世界は喜びに『グレン』と返るであろう。