されど富士は変わらず





経綸(しくみ)とは言えこの国が壊れ行くのを見るのはしんどいものである。

日に日に解体が進んでいる有様が眼前に曝されているのだが・・・と思う。

解体する『悪』も経綸なら、それを放置するのも経綸。

それがわかっていても、やはり壊れ行くのを見ているのはしんどいものである。


まるで時が止まったかのように、平坦な時がしばし続く。

ジェットコースターが頂上に上がり切ったようなひと時の静寂。

それが『峠』


登り切ったジェットコースターが進むように

やがてゆっくりと時は動き出す。




どれだけの人が『あなないあえる』のだろうか?


それは


どれだけの人が『帰還』するのだろうか?


という問いでもある。





されど天地は変わらず・・・


『非は理に勝つこと能はず

理は法に勝つこと能はず

法は権に勝つこと能はず

権は天に勝つこと能ず

天は宏大にして私無し』

・・・大楠公




『非理法権天』の旗のもと

降三世の龍が舞う

それは始まり

やがて大威徳の龍が舞う

それは終わり

軍荼利の龍が昇るとき

甘露の雨が降り注ぐ

金剛夜叉の龍が降り

祓い清めの雨となる

不動の龍の仕舞の舞い

『あなない』手繰る終わりの始まり



明王の 身体の色は 『あなない』の

どぶ泥が身に 染みた色艶



穢れを祓うに汚泥を避けて

掃除洗濯なるまじきなり





どれだけの人が『あなないあえる』のだろうか?


それは


どれだけの人が『帰還』するのだろうか?


という問いでもある。





されど天地は変わらず

『国破れて山河あり』・・・である


それは

『晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり』

・・・山岡鉄舟


ということ。



そんな山岡鉄舟を称えた言葉が

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」

・・・南洲翁



江戸の無血開城を果たしたのは

坂本竜馬でもなく勝海舟でもなく徳川慶喜でもなく

この二人である




これが、ここから先の道しるべ


人が何をどんなに壊そうとも


天地を壊すこと能わず