歴史は『権力』が変遷するたびに書き換えられてゆく。
新しい権力を末永く続かせるには、人の潜在意識にまで刷り込みを行い、アイデンティティそのものを書き換えて行く必要がある。
今現在でもそれは延々と行われており、学校で『慰安婦』や『日本の戦争責任』を教師が勝手に子供たちに刷り込んでおり、そういうことが行われるのがここ『数千年』の慣例のようになっているのである。
今現在の『刷り込み』を見れば、我が国の『権力構造』が見て取れる。
それだけ『中国』に侵食されているということだ。
戦後、アメリカの属国としての地位を余儀なくされてきたが、そこへ中国が入り込んできた。
そこでアメリカは危機感を持ち、植民地利権を発動して『中国の追い出し』に進んだ・・・というのが今現在の時系列の出来事である。
それは置いておいて
国内で最も近年に『権力の変遷』が起きたのは『明治維新』である。
この明治維新で出来たものが『立憲君主制』である。
これは明治維新に大きくかかわった『イギリス』の制度を『尊王派』の維新の志士たちが模して制定した新しい権力構造である。
天皇陛下を上にいただき日本人のアイデンティティを統一する。
そのために、ここでも『神』がねじ曲がった。
天照大神を『太陽神』として、密教の『大日如来』となぞらえて、神社に『御神体』として据えられる『鏡』を『太陽の象徴』とした。
そして『天皇陛下』をこの『太陽』と崇め祀ることで『神国日本』という『新たなアイデンティティ』を造ったのである。
本来、太陽神ではない天照大神を太陽神と『比定』して、本来は『月』の象徴であるはずの『鏡』を『太陽の象徴』と『比定』していった。
これらはすべて『新国家』の基盤を安定させるためのものである。
ただ、ここでそれらの善悪を語るのは意味がない。
時の流れの中で起こった『出来事』に過ぎないだろう。
古事記、日本書紀が編纂されたときも同じ。
『竹内文書』『九鬼文書』『上つ文』を参考にして編纂された『記紀』は、『律令国家』という新しい国家建設のための『歴史改ざん』なのであろう。
武力や争い、裏切りによって生み出された新国家は、その『起こり』と同じく武力や争いや裏切りというものが絶えなくなる。
そのため歴史は様々に上書きされてゆく。
『蝦夷(エミシ)』という国内の『反乱分子』が『創作』され、それらを討滅する『英雄』が創られる。
権力の変遷の狭間では、『消し去りたいアイデンティティ』が残っているため、それらを新たに書き換える必要がある。
そうしてありもしない『蝦夷(エミシ)討伐』という『新たな権力の善行』という『物語』を創出していったわけである。
だが、やはり人の潜在意識の根底にある『アイデンティティ』はそう簡単には消し去ることは出来ない。
どんなに刷り込み上書きしたとしても、それらは『鍍金(めっき)』の如く剥がれ落ちて行くことになる。
そして、その『鍍金』が剥がれ落ちようとするたびに、『権力の変遷』が起こってきたのであろう。
現在、『高千穂』が『天孫降臨』の地とされているが、それらは『各地に伝わる天孫降臨』の物語に『少しの上書き』をしたものである。
本来は各地に『天孫降臨』の物語が語り継がれている。
そしてそれらは全て『同じ神様』なのである。
これは日本人の潜在意識に深く深く根付いたものであるため、どうしても書き換えられない。
『高千穂』に降臨した神は上書きされてしまったが、その根底に息づく本来の『天孫降臨』は何ら色あせてはいない。
『高千穂』から遥か離れた岩手県の『遠野』に降臨した『三女神』がある。
その神様(三女神)と高千穂の神様は『同じもの』であると、『鍍金』された物語の裏側では『地域の伝承』として延々と語り継がれているのである。
どんなに認識を上書きされようと、潜在意識に息づく『アイデンティティ』は染まることはない。
何が嘘で何が誠であるかは自分の潜在意識にある『魂』が知っている。
その『魂』に繋がってさえいれば、たとえどんなに回りが移ろおうとも道に迷うことはないだろう。
ただそれは魂が『磨かれていれば』の話である。
磨かれていればこそ真実が写るのである。
曇り汚れ歪んでいては、写ったものも曇り汚れ歪んでいる。
魂は『水鏡』
常に平らかに磨いて静めておくもの。
それが『祓い』である。
真円の
月が真円に映る『水月』の如く
神を映す『鏡』である。
『日』の光を映し夜を照らす『月』
それが鏡
神を我が魂に曇りなく穢れ無く歪みなく真っすぐに映しとる
それが『神人和合』の『誠』の在り方である
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