Identity(アイデンティティー)

*「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」 ~山中幸盛(鹿介)



神世の時代から数十万年分の記述が神代文字で書かれた『竹内文書』は常に『狙われる』存在であったという。

権力争いの中、各家が『竹内文書』を求めて、それを参考に『我が家の文書こそ正統』とうたってきた。

それだけでは飽き足らず、『竹内文書』の存在に恐れ脅かされ、挙句の果てに『竹内文書』の原本を焼き捨ててしまったという。

そして、竹内家に代々伝わる数々の歴史的遺品も、捜索され見つかると破壊されていった。

竹内家はそんな『亡者』たちから代々『文書』や『遺品』を守るため、時にはひっそりと隠れるように暮らしながら、代々伝えてきたという。

現在、わずかに残った遺品や文書の写しは、一般に公開されている。

「秘密にしているから狙われる」ということで、公開に踏み切ったそうである。



時代が変わるたびに歴史は歪められ、世界一長い歴史を誇る日本人は、自分たちのDNAに刻まれたものが一体どういうものかを知らない。

それは、根本が歪んでいるゆえ他の歪みを矯正出来ないジレンマが、歴史の多くを歪めてきたのである。


例えば、『西郷隆盛』という人物は、実は彼の『お父さん』の名であり、本人は『西郷隆長』という。

そんな些細なことさえ修正することも出来ないほど、柱はグネグネに曲がってしまっている。

だから現在でも学校の先生たちが日本人のアイデンティティに関わる歴史認識の破壊を行っていてもいっこうに修正されない。

正すべき側が同じようなことをして捻じ曲げてきたのだから、正せるはずもないのである。

やれば『藪蛇(やぶへび)』となることがわかっているのだろう。



例えば、自分の両親や家族が「在りもしない言いがかり」で辱められたらどうだろう?

家族の絆が大きく揺らぐかもしれない。

そして、その後の人生に大きな影響を与えることにもなりかねない。

歴史を歪めるということは、そのようなものなのである。

人の根本のところにあるアイデンティティが歪められているのである。

歴史を穢せばそこに生きる人の心を穢すのと同じこと。

それほど人は『生きている場所』と一体化し同化しているのである。

それを今、日本人が自らの手で自らの大地と心を歪め穢している。


そんな罪穢れをせっせと掃除してきたのが『祟り神』とされた神々である。

そして多くの英霊たちが神々と共に大掃除をしてきた。

そんな『御蔭』もつゆ知らず、人はせっせと穢れを作っては捨て続ける。



過去に囚われる必要はない。

しかし過去のごみは掃除せねばならない。

穢れたままではこの先行けないのである。


何事にも『時節』というものがある。

それは神にもどうすることもできないもの。

そんな『時節』が来ている。

神にもどうすることも出来ないものを、人がどうこうできるはずがない。



掃除洗濯出来たものは幸いである。

未だゴミを隠し持ち続けているのなら・・・・

早く掃除することだ。

人の穢れより自分の穢れが最優先である。