伊弉諾大神と伊弉冉大神が別れた最初の『岩戸閉め』
それはこの世を産み成す過程で高天原とこの世と黄泉が『別れた』のが岩戸閉めの最初である。
その伊弉諾大神と伊弉冉大神が再び巡り合う『岩戸開け』
それは『別れた世界』がひとつに『巡り合う』ということである。
魂と霊と身は本来一致しているはずのものでなければならない。
それが分離してしまってそれぞれが岩戸を閉めたように隔たっている。
かつてはもっと近しいものであったはずが、今や身ばかりの世となり、高天原も黄泉の国も遠くの『夢想』の世界となった。
そんな離ればなれの『三界』が近づいて、重なり合うようになってきた。
だから魂の姿そのものが身に現れ、霊の姿そのものが身に現れる。
どんなに身をとりとり繕っていても、霊魂の姿が身ににじみ出てくる。
それはこれからもっと顕著になってくるだろう。
だから100年も前から『御魂磨き、御魂の掃除洗濯』と言われてきたのである。
身には霊が現れ、霊には魂が現れる。
それが『岩戸開け』
だから霊と身を真っすぐ一致させ、霊と魂を真っすぐ一致させるということが必要なのである。
それが自らの『柱』を真っすぐに立てるということ。
あゝ、それで『霊身一致の癒奏術』となったのかと気付いた。
導きとはこのようなものである。
そして、『霊身一致』するということはこういうことである。
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