先生方





20年ほど前の話ですが、設計士2名と設計事務所(アトリエ)をしていたことがあります。

ある時、京都の某有名私立大学の教授と共同で仕事をする機会がありました。

うちのアトリエの2名設計士のうち1名は大阪の某有名国立大学で講師をしていました。

一緒に仕事をしてよくわかったことですが、大学教授や講師というのはまるで『子供』であるということ。

ほんとうに子供のように愚図ったり甘えたり・・・・

学校という社会の外で生きていないからでしょうか。

また、大学という貧困層のない小さな社会だからでしょうか。

更には『学生』たちと常に接しているので、そちら側に寄ってしまっているせいでしょうか。

そんな『教授』と『講師』を世話しながら仕事をしたのを覚えています。

もちろん私は学歴など無いし、彼らより『年下』でした。

そんな年下に平気で愚図ったり甘えたりしてくる『先生』と呼ばれる人たち・・・・

二言目には『僕の取り分は?』です。

「先に仕事をしろ!」と心の中で思いながら、なだめすかしてやる仕事は大変でした。

一番大変だったのが『施主の意向を無視して』しまうところ。

施主には『予算』というものがあるのですが、そんなことはお構いなしで『やりたいこと』に突き進んでゆく・・・

心が『建築』のほうにばかり行き、施主のほうを向いていない。

『だってこうしたほうがいいだろ?』という自分の欲望を叶えることに専念してばかりで、施主の思いを見ていない。

もう一人の設計士が言っていたことであるが『建築設計はマスターベーションのようなもの』だそうである。

的を射た言葉である。

まるで『自慰行為』をするかのような仕事ぶりなのだと。


技術者というものは得てしてそういうところに行きがちである。

セラピーの施術も同じ。

だから『癒し』を考える時、真っ先に『受ける人の気持ち』を考える。

それが100%になることは無いにしても、少しでも近づけばいいと思う。

技術にこだわるのは自分の慾であって、受ける人の希望ではない。

受ける人の希望は別のところにある。

それも人それぞれ常に違う。


自分の知識や技術に自惚れれば、『先生方』のようになるだろう。

だから最近にぎやかしている『学術会議』が『自慰集団』であることは自

ずと理解できる。

コロナで政府方針を決めていた先生方。

経済方針を決めている先生方。

見識の『深さ』はあるが『幅広さ』はない事をよく知っている。

まるで駄々っ子のように愚図っているお断りされた『学術会議』の先生方。

本当に学びたい人を偏差値やお金で『お断り』してきた自分たちを省みてほしいものだと思う。

そして、いい加減『自慰行為』はやめてほしいと願う。


最近流行りの『自己実現』にばかり邁進していると、得てして『自慰行為』に陥ることになる。

『自己実現』は自分だけの欲求であり、周りの人には全く関係のない話。

調和できなければそれは単なる『自慰行為』である。



人は『適正』を見ているようで、その実『属性』を見て判断している。

それが大きな間違いである。