記紀を筆頭に武内家の竹内文書、九鬼家の九鬼(くかみ)文書、宗像家の上つ文(うえつふみ)、聖徳太子の先代旧事本紀大成経、物部家の秀真伝(ホツマツタエ)・・・
その他にも数々あったのだろう。
文書による権力闘争。
我が家こそ『正統』と文書で争い、それだけでは足らず結局は殺し合い。
力でねじ伏せ最後には『記紀』におさまり一件落着。
歴史は常に勝者によって書き換えられる。
権力が末永く続くようにと歴史、宗教、法を書き換えるが世の常・・・・・・・
神を求め、しかし神と離れ、
縋(すが)る神無く哀れなり
せっかく神の詔(みことのり)
伝えたところで無駄になりし
倭(やまと)の巫女の詔(みことのり)
まこと聞き届けてくださらぬか
囚われの斎女王(いつきのひめみこ)
ゆえにお伊勢に囚われし
牛車に乗った市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
倭の巫女の姿なり
騙して捕らえた『イワトアケ』
神世とこの世の『鏡』なり
まこと厳(いつき)の天(あま)の女神は
イワトの向こうで待っている
言答(ことと)いなせば開かれたるに
未だ開けぬ言答(イワト)なり
言向け和せば事返る
言答(イワト)は神人繋ぐ御柱(みはしら)
青人草(あおひとぐさ)が真言(まこと)問いなせば
神が真事(まこと)答い返す
一二三四五六七八(ひふみよいむなや)
四方八方広がる弥栄
九十(こと)が無ければ『みろく』と成らず
上下神人『コト』で繋がりて
十方円満広がる神世の弥栄
『イワト』閉めたは何であるか?
そは『文書』なり
・・・・・・・
後で系譜を調べたところ
丹波道主王(たんばのみちぬしのみこと・祖父)ー日葉酢媛命(ひばすひめのみこと・母)ー倭姫命(やまとひめのみこと)
であった。
なるほど・・・
昨年末の『伊勢』での導きは間違いではなかった。
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