愛の剣




かつて出口王仁三郎氏は言われた

『神を鰹節にしているものばかり・・・』と

鰹節を削るように神を削って売ってゆく

そんな神の崇め方

そんな神の使い方



それは今でも全く変わらず

それに気づいたドリーンバーチュさんの改心も空しく

今だ神は『けずりぶし』



そんな『けずりぶし』の神に慣れてしまい

誠の神がわからぬばかりか

誠の神が信じられぬ


すべて悪魔の謀(はかりごと)

それに気づいて改心したと語ったドリーンさんの言葉も

慾に負けて改心出来ず





うちには神棚がある

仕事場と寝室に

毎日お神酒をささげ祝詞を唱えている

そのことの意味をちゃんと理解する人は

ちゃんと神棚に手を合わせてくれる

今まで多くの人が来たが

神棚に向かう人は稀である



『けずりぶし』に慣れすぎて

誠の神がわからず

誠の神に向かうことを知らず

おもちゃのように一枚二枚と

神の『けずりぶし』数えるばかり




私が今これを書くということは

わかる人にはわかるはず

神は『大鉈』を振るわれる

そこに『情け』の入る余地はなく

ただ純粋に『愛』あるのみ


二極だゲートだ抗ったとて

浄玻璃の鏡は偽れぬ

素佐鳴大神が『大鉈』振るうは

『御せんたく』(洗濯、選択、宣託)である


神が御魂の洗濯したとて

すぐに身霊(みたま)汚していては

何度やっても同じこと





先のブログは『厳』の言葉


ここの言葉は『瑞』の言葉


二分の魂 立て分ける

『大鉈』降ろす神の痛みを

我がものとして我も『鉈』取る




神を捨てよ

神の『けずりぶし』を捨てよ

心の中に灯る『火』に

おのれの生命灯る『火』に

精いっぱいの『感謝』を捧げ

誠の神を尊ぶ『道』ゆけ

誠の我を尊ぶ『道』ゆけ