音姫




9月に入ってからというもの、音姫さまが激しくご活動になっている。

【雨が鳴る】という激しい言葉とともに台風10号が沸き起こり


同時に「豊玉姫」も付き従うのが感じられ、昨年11月に赴いた九州に思いを馳せる。




音姫さま自身が自ら業火に焼かれる地獄へと向かい、自らの過ちを改心してきた方だからこそ『大洗濯』の禊ぎ祓いが出来るのである。

出口王仁三郎氏の霊界物語によると、自ら集めた宝をすべて返上して『無一物』となり、自ら業火に焼かれ、その後改心して先頭をきって大建て替えに挑んでいる。

だからこそ『改心の禊ぎ祓い』を音姫さまがおこなっている。


豊玉、玉依

二人の女神の満ち引きの力

その宝玉の力で嵐を呼び起こす。

雨の神

風の神

荒れの神

岩の神

地震の神

ともに激しさを増す。




嵐が一段落すると、今度はブッダの言葉の数々がやってくる。


ダンマパダ

スッタニパーダ


心にす~っと沁みて行く。



これも『音姫さま』のはからい。

ブッダの魂と共に何度も転生してきた『音姫さま』のはからいである。

それゆえ『改心』へと至った・・・と言わんばかりにブッダの言葉の数々が沁みて行く。



そして繰り返し心に来る言葉が

『犀の角のようにただ独り歩め』

『この世と、かの世とを、ともに捨てる。まるで蛇が皮を脱ぐように』


多くの言葉があるのだが、それらは『方便』

肚に入れるべき言葉はこの二つで十分である。





昨日はちょうど9月9日

菊理姫(九九理姫)の日らしい。

だから『肚括り』の言葉なのかと苦笑する。




スッタニパーダに於いて仏陀は地上の生き物すべてに説く。

『真に目覚めた人こそ天界にもない宝』であると。

だから「捧げものをする人を守れ、大切にせよ」と。



真に目覚めた人は『如来』に等しい。

それは「蛇が皮を脱ぐように」この世とかの世のすべてを捨てる人である。

この世(三)とかの世(四)

そこへ囚われるものたちを

「蛇が皮を脱ぐように、犀の角のようにただ独り歩め」



洗濯は選択であり、その『宣託』である。

九九理の道である。



「慾にまみれたその口で目覚めたなどと言うは騙すことである」

と音姫さま。

「この世(三)とかの世(四)を捨てて五六七(みろく)へ独り歩め」



手を取り合って行ける道ではない。

独りでしか向かえないのである。

九九理の道である。